sairo

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夜の公園。ジャングルジムの一番上で、子供が声を殺して泣いていた。

「なにやってんさ」
「やだっ。こないで、こないで、っ!」

下から声をかければびくりと体が震え、只管に拒絶の言葉を繰り返す。周囲を見回すが、気になるものは何もない。
もう一度ジャングルジムを見上げ。びくびく震える子供を暫く見つめ。
とん、と地を蹴り、一息で子供の前まで飛び上がる。

「ひっ。ぃや、やだ。やだぁ」

近くに寄ったために、声を上げて泣き喚く子供。煩くなってしまったと顔を顰めつつ、飛び乗ったジャングルジムの上から周囲を見渡した。
やはり、何も見えない。辺りはただの暗闇が広がるのみで、子供を脅かすものなど何一つない。

すでに去って行った後なのか。

何故。子供を怯えさせ、ジャングルジムの一番上まで登らせて。諦めたのか、興が冷めたのか。
登れなかったのだろうか。登れず諦めて、それを知る術のない子供は、今もこうして降りられず泣いているのか。

あるいは、この子供は。

そこまで考えて、足下で何かが蠢く気配がした。
反射的に飛び退くが、それより速く足に何かが巻き付き、縫い止められる。
じゃらり、とした重い音。金属の鎖だと気づく頃には、四肢に頸に鎖が巻き付き身動き一つ取れなくなってしまっていた。

「なんだ、また小物か。つまらん」

無機質な声に視線を向ける。先ほどまでの泣き怯えていたのが嘘のように表情の抜け落ちた子供が、昏い瞳で己を見つめていた。
値踏みされているかのようなその眼に、思わず顔が歪む。視線を逸らし下を見れば、ジャングルジムの中、人ならざるものがひしめいて、忌まわしいと呪う声を上げていた。

疑似餌。

そんな言葉が浮かぶ。
泣く無垢な子供を餌に、誘き寄せた化生らを逆に取り込んでいるのだろう。巻き付く鎖の感じから、おそらく術師の仕業のようだ。

「抵抗しないのか。益々つまらんな」

子供の形をした餌が、興ざめだと嘆息する。そう言っている間にも鎖は己を余す事なく巻き付き、逃げられる隙などありはしない。
術師は随分と傲慢なようだ。自身の術に相当の自信があると見える。
はぁ、と疲れた吐息をひとつ溢す。
顔にも巻き付き始めた鎖を煩わしいと思いながら、餌を見据え。

「なんつうか…高飛車で悪趣味な女って、今時持てんよ?」

正直な感想を呟いて、怒りに顔を歪ます餌を嗤い。
意識を、切り離した。




「何あれ。怖っ」

目を開けて、鳥肌が立った腕を思わず摩る。
悪寒が背筋を駆け上がり、堪らず机の上のケトルの電源を入れ、お湯を沸かし始めた。
空のカップに新しいほうじ茶のティーバックを入れ、沸騰する前の温めのお湯をカップに注ぐ。
ずずっ、と音を立ててまだ薄いほうじ茶を啜れば、それでも染み入る暖かさにほぅ、と息を吐き、ようやく落ち着きを取り戻す。

怖いものを見てしまった。
少し離れた場所に残してきた鳥の視界から、切り離した躰が鎖によって潰され引き千切られていくのが見えて、落ち着いたはずの体がふるり、と震える。
余計だとは思いながらもつい溢れてしまった言葉は、あの術師のプライドをいたく傷つけてしまったようだ。分かってはいたが、と口元を引き攣らせつつ、また一口茶を啜る。

「夜の散歩なんさ、するもんじゃない」

独りごちて、机に突っ伏した。
眠気などすっかり消え失せて、覚醒した思考に溜息が漏れる。

寝付けない夜に散歩をしようと思い立ったのは、いつもの気まぐれだ。
場所はどこでも良かったが、最近噂になっている公園が気になった。

曰く、子供の泣き声が夜ごと聞こえてくる。
曰く、誰もいないはずのブランコが、風もないのに揺れていた。
曰く、深夜に砂場で遊ぶ、黒い影を見た。

よくある話ではある。よくある話だからこそ、軽い気持ちで眠気が訪れるまでの気分転換にと目的地に決めたのに。

鳥の視界から、どうやら術師本体が訪れた事を知る。捕らえたはずの獲物が跡形もなく消えた事を、確認にでもきたのだろう。
やはり女だ。髪の長い、所作の美しい女。
女が不意に振り返る。離れた場所にいるはずの鳥と、視線があった。

作り物めいた、ぞっとするほどに綺麗な女の顔には、見覚えがあった。

「せいとかいちょーの、おねえさん?」

昨年の文化祭を思い出す。生徒会長と親しげに話す、女の姿が浮かぶ。
女の視線は逸れない。害あるものかそうでないか、こちらの力量を見定めている。
その視線を逸らさず、けれど焦点が合わぬように見返して。女ではなく、公園を見ているのだと。噂の多くなった公園の監視をしているのだと。
いくら待てども何の変化も見られない、公園を見ているのだと、誤魔化した。

やがてふい、と興味が失せたように女が視線を逸らす。ジャングルジムに施した鎖を解き、立ち去る最後に公園自体に施した鎖もすべて解いていく。
そうして女が公園から去り、気配もなくなってからようやく、いつの間にか詰めていた息を吐き出した。

「美人って、怖い」

脱力する体を起こし、冷めてしまった茶を飲み干す。カップはそのままに、のろのろと立ち上がりベッドに潜り込んだ。
目を閉じればすぐに沈んでいく意識に身を委ね。

意識の端、近く開かれる文化祭を思い出して。
心底嫌そうに、顔を顰めた。



20240925 『ジャングルジム』

9/24/2024, 10:00:50 PM