秋茜

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※作中の曲は自作です。頑張って解読すると一応、実際にメロディになります。

題「行かないでと、願ったのに」

 ある秋の夜――。

 その日、アリシアは何故か寝付けず……仕方なくベッドから起き上がりカーテンを開ける。
 窓を開ければ月明かりと優しい夜風が通りすぎて――そこには大切な人と寄り添い見ていた景色が、今も変わらずそこにある。

 ああ、そうか。今日は――あなたと初めて出会った日だったよね。

 ただ、独り。今は、ただ独りで、アリシアは想いを音に乗せ、ヴァイオリンを奏でる。
 その音色は限り無く広がり、遠く離れた夜空に溶けてはほどけ、消えていくようだった。

 彼が初めてヴァイオリンを教えてくれた日のことが甦る。

――これはね、♭が六つだから変ト長調って言うんだよ。
――何それ、ヘンテコな名前……。
――笑うなよ~……真面目に教えてるんだぞ、全く……。
―ごめん、ごめん……。

 楽譜の読み方から……飽きっぽい私の機嫌を取りながら、あなたはめげずに教えてくれたよね――。
 優しい……本当に優しい人だったね。

 彼女は、彼が最初に教えてくれた――彼が大好きだった曲を、口ずさみながら奏でた。
 変ト長調。題名は……「大切なあなたへ」だったかな。

……Fドシドレ/Gレードドー……/Emドシドレ/Amレーソ↑ド↓ー。
/B♭onF ファミド/Gsus4ラシドソ↓/Dレ↑ードーレミ~/E……G#m♭5ソファミレ……。

――顎が痛い……音が綺麗に鳴ってくれない……私、ヴァイオリンに嫌われてるのかしら……。
――まだ始めたばかりじゃ仕方ないよ。アリシア。まあそう焦らないで。……少し休もう。

ハミングとヴァイオリンが鳴らす一音、一音毎に、遠い日の思い出が聴こえてくる気がした。

……Fドシドレ/Gレードドー。
/Fadd9ファ↑ミファソ/GラーCシドー……。
/Dm7ドー、ソー↓レ↑/Fドー、ソー↓ド↑/Gシーー……。
/C ドシソミファソドー↓……。

 今ではもう何も考えなくても、指が勝手に弾いてくれるようになった。
 でも――一番、聴いて欲しかった人は。もう同じ空の下にいない。

 音はいつしか哀しみを含み、アリシアの心を痛いほどに叩いた。
それでも、最後までアリシアは演奏した。彼が側に居て、最後まで聴いてくれているかも知れない、と。――そう、思いたかったから。

 演奏が終わると、夜の静寂が戻って来る。
 アリシアの頬を、空知らぬ雨が濡らしていく。

 ヴァイオリンを傍らに置き、アリシアはただ独り窓辺に立ち、いつまでも遠い遠い夜空を独り、ただ眺めていた。

11/3/2025, 4:46:59 PM