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 茜色に滲んだ空はゆっくりと夜へと呑み込まれていく。鈍く響きわたる町内放送のメロディー。大きな影を蠢かしながら翔び立つ烏。カーテンの裏に隠れながらぼんやり眺めるのが私は好きだった。眠りにつくまえのホットミルクのような微睡み。緩ませてくれるこの時間が私を現実から遠ざけてくれるのだ。


 私はいつからか学校に通うことが出来なくなっていた。イジメに合ったわけではない。けれど酸素のない水槽のような息苦しさに溺れながら、必死に笑って人付き合いをしていく日々は私を体から蝕んでいった。

 だんだんと、ご飯を美味しいと感じられなくなった。咀嚼している間、ふらついて宙ぶらりんになったような不快感がふつふつと沸いてくる。

 夜に眠れない日が続いた。部屋の角から目が離せないまま明日が来ることを考えないように固く瞼を閉じてやり過ごす。朝に起きれない日もあったし、早く起きると進んでいく時計の針を血の気を引いたように見つめてしまう。そして、玄関の前でしゃがみこむ。

 あっという間に不登校へと雪崩込んいた。一歩でも外を出歩くと同級生に会ってしまうだろう。怖くて引き籠もってしまった。お母さんは呆れたような声を上げながら、保健室登校や相談室に登校することを勧めてくれたが、教室でそれを冷ややかに話のネタにして嘲笑っていたのを私は知っていた。鼓膜に張り付く、ねばついた声が私を動けなくさせていく。

 機械的な軽い音楽が微かに聞こえる。お風呂の沸いたことを知らせるチャイムだ。ゆっくりと立ち上がるともう一度だけ窓枠へと肩越しに振り返る。
 
 闇は覆い隠すように広がって、人工的な橙色がぽつぽつと浮かび上がる。呼吸をしているような夜景は、人との繋がりを私から絶ってしまったはずなのに、なぜだか恋しいと心がざわつく。

 ひとりぼっちになりたかった訳ではなかった。なぜ私はあの場所で息ができなかったのだろう。けれどひとりになりたいとあの瞬間、根付いてしまった。いつか時間が私を変えてくれるのだろうか。あるいは、教室以外のもっと自然でいられる場所を見つけられたなら。呼びつけるお母さんの声に我に返って部屋を出る。焦がれたような夜を千切るように扉を閉めた。

/ この場所で

2/11/2023, 12:32:35 PM