書く習慣:本日のお題「エイプリルフール」
本日ど直球のお題に乗っかって嘘をついてみよう。
思考実験である。
先月、体の異変に気がついた。病院へ駆け込んで緊急入院などの事態になったら困ると思い、なるべく気にしないようにしていた。
しかし、ふと思う。
私が生きていた証はどこに残るのだろう。
子どもがいればそんな疑問は生まれなかったはずだ。
だから「人は危機に瀕すると衝動的に生殖行為をしたくなる」という説が出回るのかもしれない。
だが、今危機に瀕している母体で子どもを育てようとかいう発想になるだろうか。急に冷静になり、あの説は男性に限った話なのだろうと結論づける。
家族に電話してみる。感傷的に泣きつくためではない。保険の相談のためだ。
「もしもーし、今大丈夫?」
私の声が明るすぎると家族は異変を感じ取る。だからなるべくフラットに、いつも通り気を抜いた家族用の低めのトーンで、やや気だるい発話を心がける。
――厄年だから検診でも受けてみようと思って。それでなんか見つかったらバタバタするから、今のうちに保険ちゃんとしとこうと思って。いや全然元気だけど、万が一ってことがあるじゃん。先回りして段取りつけたくなっちゃって。職業病かも。取り越し苦労なんだろうけどさ。
私は宿泊訓練に行く前に「訓練中に万が一ってことがあるかもしれないから」と荷造りそっちのけでお気に入りの本を読み納め始め、親に徹夜で説教された人間である。我ながら、ここぞという時の「もしも」の暴走には並々ならぬ説得力がある。推しではなく、自分の未来に心配の矛先を向けるタイプの杞憂民なのだ。
親は「大丈夫だよ若いんだからさ」などと言いつつも、私が調べてLINEで送った保険プランを見ながら、あれこれとアドバイスをくれる。勧められたプランを選択してネットで申し込みを済ませ、連休の帰省予定を聞かれ、「決まったら連絡するね」と答える。連休までほぼ1ヶ月あるから、まだ予定を立てていなくても不自然ではない。新幹線の予約だってまだ取れないのだから。
仕事が落ち着く月初めの週に絞って、検査の予約を取った。検査を控えてそわそわしたくないから、予約時間は朝一の枠にした。
支払いのあるアカウントのパスワードを確認し、入れなくなっているアカウントは再設定を済ませる。全てのログイン情報をまとめ、家族に送る準備完了。家族に見られて困るSNSは、申し訳ないがそのままネットの海に放流してしまおう。
保険、検査、サブスクという三大懸案事項が済むと、思考は再び自分の生きていた証について舞い戻る。
今度はやるべきタスクが済んでいるので、最初よりは落ち着いている。
「自分の生きていた証はどこに残るのか」なんて、ありきたりなことをとっさに考えてしまう自分はつまらないとさえ思う。
でも、墓石や戸籍だけが残って「すでに私を知っている人だけが名残を見られる状態」というのは、少し物足りない。何を欲ばっているのかと我ながら呆れるが、せっかくインターネット老人会世代なのだから、このネットの海に自分の墓標を作っておきたい。
危機に瀕した肉体に負荷をかけず、生物的な継承が叶わないのなら情報を継承してやろうと考えたのだ。
そんなわけで、新しくSNSを始めた。しかし思いついた言葉をぽつりぽつりと流すだけでは足りなくなり、話しかけてくれた人とも仲良くなった。
そして、1日1個まとまった文章を書き残しておこうと思い立った。それがこの「書く習慣」を始めたきっかけだった。
エイプリルフールについた嘘は1年間実現しないという。
だったら、「1年後に死ぬ」と毎年言っていれば、三年峠理論で長生きできるのではないか。
三年峠をざっくりまとめると、「ここで転んだら3年しか生きられない」という峠で転んで嘆き悲しんでいたご老人が、「なら3年経つ前にまた転びに行けばもう3年延命できるよ」とアドバイスをもらって長生きに成功する話である。老人になってる時点で既に長生きでは? とは思うが、この話の肝はそこではない。発想の転換が大事なのだ。
『ヴェニスの商人』の「肉1ポンドを切ってもいいとは言ったが、血を流していいとは言っていない」という理屈で人を助ける激アツ展開に胸を焦がした小学生の頃から、私のツボは変わっていない。大人になってから読んだ三年峠を気に入ったのも、そういう発想の転換を面白いと感じたからである。
だから、自分で自分の展開を決められるなら、三年峠やヴェニスの商人的な発想をしてみたいと考えている。
4/1/2026, 1:30:30 PM