すゞめ

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 帰宅してリビングに向かうと、座椅子に座ってパソコンと睨めっこしている彼女がいた。

「珍しい。仕事ですか?」

 声をかけると、彼女は今にも泣きそうな顔をして振り返る。

「おかえり! 待ってた!」
「え。どうしたんです?」

 泣きたくなるほど嫌な仕事でも押しつけられたのだろうか。
 それであればそんな会社は辞めてしまえばいい。

「小説の書き方教えてっ!」

 おっと?

 俺の予想より遥かに傾斜のえぐそうな困り方をしていた。
 聞けば、長年通っていたクラブチームの後輩に夏休みの宿題を押しつけられたらしい。

「がんばってみたけど2行で書き終わっちゃった」
「2行……」

 序破急に沿っても3行は書けるはずなのに?

「普段あれだけ本読んでおいてそんなことあります?」
「失礼な! 読書感想文はちゃんと書けた!」

 読書感想文まで押しつけられたときた。
 押しの弱さもここまでくると感心する。

「ほらぁっ!」

 ぷりぷりしながら読書感想文を書いたと思われる原稿用紙を渡してきた。
 几帳面できれいな文字で綴られたタイトルは、彼女の人のよさと真面目さがよく伝わってくる。
 そして諸悪の根源である人物を確認した瞬間、俺は舌打ちした。
 彼女に名前を書いてもらうとか、羨ましいにもほどがある。

「今後この人に宿題を押しつけられたら、俺の名前を出して断ってください」
「あ。やっぱり知り合い?」
「面識はありません。けど、向こうも俺の名前は知っていると思います」

 読書感想文に書かれていた名前は、悪友の歳の離れた妹である。
 今は高校生ぐらいだったはずだ。
 彼女の写真と引き換えに、その悪友を通して何度も宿題を手伝わされたことがある。

「……って、待ってください。やっぱりとは?」
「その子から彼氏がゴネたらこれ渡せって預かってきた」
「は?」

 彼女はパソコンの横に置かれた、真っ白な洋形2号封筒を差し出す。
 封筒を受け取って中身を確認した瞬間、ローテーブルに顔面を強打した。

 かああぁぁわいいぃぃ♡

 封筒の中には彼女の昔の写真が入っていた。
 しかもヒラヒラの黒いビキニという刺激的な格好をしている。
 さらに凄いことに、青銀の髪の毛が腰までふわふわに伸びていた。
 カメラに向かい真っ白な歯を見せて天真爛漫な笑顔を浮かべている。

「なにが入ってたの?」
「えっちな水着を着たあなたの写真です」
「……今すぐ燃やすから返してくれる?」

 素直に答えたら、彼女は瞳から表情を消して封筒を奪おうとした。

「危なっ。いきなりなんてことしようとするんですか。俺の夏を勝手に終わらせようとしないでください」
「あ?」
「がんばってきれいに引き伸ばして、ひと夏のアバンチュールに酔いしれます」
「オッサンくさい言い方含めて、そんな夏さっさと終わらせろ! クソったれ!」

 水着の写真に引っ張られて調子に乗りすぎたせいで、彼女のお口の治安が一気に悪くなった。
 このままでは本当に写真が炭と化してしまう勢いのため、慌てて取り繕う。

「花火とかキャンプファイヤーとか飯ごう炊さんあたりが楽しめそうですかね?」
「ん? 火遊びってそういう……?」
「写真の代わりに火薬と薪と鉄ならいくらでも用意しますよ♡」

 しかし彼女は暗い場所が苦手だ。
 近所の公園であればすぐに戻れるし、花火を楽しめるかもしれない。
 キャンプは日帰り一択だ。
 飯ごう炊さんをメインに据えて、キャンプファイヤーの代わりに飯ごう用の火起こしを楽しむのが現実的である。

「用意しますよ♡ じゃ、ねえよ! 写真くすねる気ならこれ、なんとかしてっ!」

 ピシッとパソコンに指をさす彼女に俺はうなずく。

「ええ、もちろんです。どんな物語にする予定だったんですか?」
「ふふんっ。聞いて驚け!」

 自信たっぷりに、彼女はキラキラの笑顔を浮かべた。

「勇者が魔王をやっつけるお話!」

 うん。
 彼女にも苦手なことってあるんだな。

 ドヤ顔で胸を張る彼女がかわいいし、彼女の昔の写真も貰えるし、もうなんでもよかった。

「斬新で素晴らしい発想ですね。文量と締切を教えてください」
「400字詰原稿用紙60〜200枚。締切は明日」
「はあっ!?」

 けっこう文量多いし、締切タイトだなっ!?

「明後日から学校なんだって」
「マジすか……」

 俺の夕飯がエナジードリンクに決まった。

「とりあえず、風呂入ったら作業にかかります。パソコン、そのままお借りしていいですか?」
「え? なんで?」
「締切がタイトですし、教えながら書くよりも俺が直接手を下したほうが早いです」
「そっか、それもそうだね……」

 俺に押しつけるかたちになって後ろめたいのか、しょもしょもと彼女は肩を落とした。

「その代わり、終わったらご褒美くださいね♡」
「もちろん! わかった!」

 交換条件という形式をとったことによって、彼女の罪悪感が消えた。

 日帰りキャンプに、花火遊び。
 それに、彼女はひと夏の恋も求めていた。
 もちろん、ひと夏で終わらせる気など毛頭ない。

 キラキラと輝く彼女の笑顔を前に、まだまだ俺の夏は終わりそうにない。
 そう確信するのだった。


『終わらない夏』

8/18/2025, 12:06:19 AM