浅木

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 あの頃は幼かった。ひたすらにゲームセンターで遊んだり、カラオケで六時間熱唱したり、とにかく体力に任せた遊び方をしていた時期がある。今では到底真似できないやり方だけれど、当時はとても楽しかった。
 複数のクラスメイトと集団で遊んでいた時期もあったが、とりわけ遊んだのは一人のAちゃんだった。
 彼女はクレーンゲームが上手く、相性のいい台では二百円や三百円でぬいぐるみを腕に抱いていた。何回かおこぼれをもらい、二人でもふもふな毛並みを撫でては笑い合ったことを覚えている。他にもコインゲームをしたり、暗い中でゾンビと戦ったり、まぁとにかく様々なゲームをした。
 当時はスマートフォンなど便利なものは無く、一つのクラスに一人がガラケーを持っているかどうかの時代だ。特に約束する日は無いけれど、学校で朝に話し、その日の思いつきで決まることが多かった。今ではあまり無いことかもしれない。けれどその思いつきが楽しかった。
 ぬいぐるみが増えていって、ちょっとした収納ケースいっぱいになるくらいに集まったある日。
 いつも通りに遊び、笑い、もうそろそろ帰ろうと、私達は店の外に出た。そして「また明日ね!」と言い合い手をピースして帰り道を歩く。
 どちらから始めたのか覚えていないが、帰る前にはピースマーク、また明日。これがルーティーンになっていた。これは今でも癖になっていて、友人達に時々聞かれるのだが、私にとってはこれが別れの挨拶なのだ。明日、もしくは次に会う為の言葉と言ってもいい。Aちゃんは反対方向で、尚かつ向かい側の道路に渡って帰る。それを追いかけて、車の往来で見えづらい中で再度ピースを見せる。……なんてこともしていた。お互い何をしているんだと今なら思う。
 そしてその日を境に、Aちゃんは暫くの間姿を消した。要は学校に来なくなってしまったのだ。私は彼女の家の場所はおろか電話番号すら知らなかったし、当時、各クラスメイトの電話番号名簿は母の自室にあった。私は私でまた会えるだろうとそこまで気にしていなかった。
 けれどその日は帰りに雨が降って、びしょ濡れで帰ってきた私は風邪を引いた。そしてどこから感染したのかインフルエンザに罹り、学校に行けない日々が続いてしまった。漸く登校できた日、斜め前の机を見るが、Aちゃんには会えない毎日が続いて行く。
 一週間、一ヶ月と過ぎていったあの日。公園でボール遊びを楽しむみんなをベンチで眺めていると、通りの向こう、Aちゃん家族が歩いているのが見えた。
 話しかけに道路を渡れば良かったのだが、少し億劫に思った私は、その場からAちゃんの名前を呼んだ。二回叫ぶと、お母さんらしき人がこちらを見て、Aちゃんの肩を叩いた。ようやく彼女が私を見る。
 また遊ぼうよ、明日会える?と叫びながら手を振る私に、Aちゃんは私にピースして見せた。
 だが少し、おかしかった。
 ピースマークというのは、手の指を外側、つまり相手に向けてするものだ。けれどその時Aちゃんがしてくれたピースサインは逆。つまり手の甲をこちらに向けたサインだった。
 一瞬「ん?」と思うが、幼かった私は気にも留めずにピースサインを高々に掲げた。その通りは大通りとは言えないが車の通りは少ないとは言えず、距離もある。それに親の前だ、大声で叫ぶのは怒られるのかな、なんて考えて、再度ぶんぶんと手を振ることで返事を保留にした。
 Aちゃんはそれに少しだけ手を振って応えて、また歩いて行く。それを追いかけることはせず、私はボール遊びに戻ってしまった。
 これが、私とAちゃんの別れになるとは思わずに。
 その日以来、彼女と私は未だ再会出来ていない。彼女が転校して学校からは居なくなり、引っ越してしまったそうで電話番号も使えず、連絡先も分からぬままだからだ。
 あれが最後だと分かっていれば、きちんと話をしに行ったのに。声を聞くことができたのに。せめて電話番号さえ聞いておけば、今でも楽しく通話をすることが出来たかもしれないのだ。悔やんでも悔やみきれない。
 夕方五時、周辺の子供達が口々に叫びながら帰路につく光景を見る度に思い出す。この苦さは、恐らくこれから先、ずっと残り続けるのだろう。


2024/5/22
「また明日」
 
 

5/22/2024, 12:22:40 PM