徒花

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「どうして」

どうしてなんて聞かないで。

どうしてここに居るの。どうして出来ないの。

どうしてみんなと違う事をするの。

どうして行かないの。どうして被害者ぶるの。

どうして生きているの。どうして縋るの。

そんな目で私を見ないで。

そんな事、聞かないで。

どうして、どうして、どうして、どうして、

その言葉が頭の中を埋めつくしていく。

「どうして此処に居るの」
「そんなの私が聞きたい」

「どうして出来ないの」
「それが分からないから出来ないの」

「どうしてみんなと違う事をするの」
「何でみんなと違う事をしてはいけないの」

「どうしてあそこに行かないの」
「あそこに私の居場所はない」

「どうして被害者ぶるの」
「貴方の目にはそう写ってるんだね、私は被害者じゃない。これで満足?」

「どうして生きているの」
「死んでないから生きている」

「どうして縋るの」
「助けて欲しいから、居場所が欲しいから、必要として欲しいから、存在価値が欲しいから。」

ニヤニヤしながら聞いてくる人
可笑しそうに聞いてくる人
怒りながら聞いてくる人
泣きながら聞いてくる人
ただ純粋に聞いてくる人

どうしてと何度も聞かれた。

その内に苦しくなってきた。

理由がなきゃいけないの。

そういう時だけ何で知りたがるの。

普段は見向きもしないくせに。

人の不幸は蜜の味っていうのは本当なんだなと他人事に思った。

私には理解できなかった

人の不幸を見て嬉しさや幸せを感じるなんて

でも、無意識にしてしまっているかもしれないとも思った。

幸せかどうか。目に見えないそれをどうやって判断するのか。

幸せかどうかを判断する時、無意識に不幸と見比べて判断しているのではないか。

自分より辛く、苦しい思いをしてる人の話しを聞いたり見たりすると自分は幸せ者なんだなと気づき思う。

幸せと感じるということは、その人を不幸だと思ったということだ。

つまり結局、どんな形であれ人の不幸を見聞きして幸せを感じているという事になる。

それはなんと醜いことだろう。

私も変わらないのだ。

酷いやつなのだ。

あぁ、なんとなく、あの人達が私に「どうして」と聞く理由が分かった気がする。

幸せを感じたいのだ。

幸せを感じるために私にわざわざあんな事を聞くのだ。

私を不幸者に仕立て上げる為に。

そして私と見比べて幸せを感じたいのだ。

幸せを感じるために、優越感を得るために

私を使う。

誰かの不幸の上に誰かの幸せが成り立っている。

誰かの犠牲の上に誰かが生きている。

幸せを判断するには不幸が必要になってしまう。
それは分かるが理解はできない。

そもそも常に誰かの犠牲を伴う幸せなんて、本当に幸せなんだろうか。

理不尽で醜い世界。

聞くなと自分で言っていたのに
考えれば考えるほど、聞きたくなる。
「どうして」と

あぁ、結局、私も理由を、答えを、求めてしまった。

1/15/2023, 1:18:49 PM