同情
ついさっき、又吉さんが西加奈子さんの著作について語っている動画を見たところです。
著作の中で貧困や労働環境や過酷な状況に置かれた人々を当事者でない立場で書いていいのかという葛藤が西さんにはあったと聞いて、と又吉さんがお話しされていました。
同情という言葉からは「立場」に関わるというニュアンスを感じるような気がします。
「同情するなら金をくれー」が一世を風靡したことは記憶にありますが、当事者ではないやつから「可哀想に」とか「大変だね」という気持ちを向けられることよりお金もらった方がマシだーみたいなニュアンスでしたでしょうか、違ったでしょうか。
共感は欲しいけど同情はいらないとかね。
なんとなく悪ニュアンス付きがちな同情さんです。
貧困などの大きな問題ではなくとも何か問題を抱えた時、同じ問題を抱えた者同士で集まりたくなります。
同じような経験をしていると共感は得られます。
共感が非常な癒しをもたらすことがあることも知っています。
でも、解決に向けて考えてみると、似たような視点しか持ち寄れない場合が多いこともあります。
立場がまったく違う人は、まず問題を理解してもらうのが大変です。
説明で全てを賄わなければなりません。
先方の世界観にないことは、言葉を尽くしても伝わらないこともたくさんあります。
理解してもらいたい側は諦めを取り入れる必要があります。
ここで共感を求めてしまいたくなります、心の細枝が数本折れ始めているから。
でも辞めずに話していると、「ハッ」とすることがあります。
食べたことないフルーツの味を知った時みたいな。
その視点が解決へ導いてくれることもあります。
立場が違う人の場合、共感はできません。
でも自分が相手との交流を望んでいて、双方に橋をかけるには、先方にも原動力が必要です。
それが同情であってもこちらに向けるエンジンを止めずにいてくれたことに感謝を申し上げたい、一旦。
最初に橋がかかれば、そこから友情愛情尊敬や好き嫌い、なんでも発展させていけばいい。
嫌いなら橋を焼き払ってしまえー。
同情が局面を変えることもけっこうあるよ。
2/21/2026, 4:40:15 AM