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ねえ、どっちが先に落ちるか、勝負しない?
昔の夢を見た。今から5年くらい前。まだ、私もあなたも、あどけなさと、強制的に身に付けさせられた大人っぽさの間で彷徨していた時期。サラサラとした貴女の艶やかな黒髪を、真っ黒でまるで澱のような川のもとへ爽やかに吹き抜ける夜風が撫ぜる。私たちは、明かりもついていない真っ暗闇の中、昨日の昼間にたまたま倉庫から見つけた線香花火で遊んでいた。幾らか本数があったので、この前学校であった話や、これからの夢の話など、他愛もない話をしながら。そして、とうとうお互い最後の一本となった時、貴女は少しいたづらっぽく、私にそう笑いかけてきたのだった。二人同時に、目の前に置いてある蝋燭から火を灯す。提灯のような真っ赤な光に、貴女のしどけない横顔が照らされる。思わず見惚れていると、そんな私の視線に気づいたのか貴女は、なに見てんの、花火見なきゃ。これで最後だよ、と私に目線を合わせて笑いかけてくれる。私はその視線にまた心臓の鼓動を早めながら、本当だね、と言って気もそぞろに線香花火に視線を落とす。
と、そこで目が覚めた。まっすぐ目に飛び込んでくる陽光に目を瞬かせながら、夜と朝、夢と現の間で混濁した意識を少しずつ覚ましていく。結局どっちが勝ったんだっけ。遠い昔の記憶が、頭のどこかでひっかかる。軒先から、愛子ちゃあん?と言う清子の声が飛び込んでくる。今の時刻は7時45分。今日は8時30分から市内で火災対策に建物の撤去作業がある。ヤバい。焦る意識のままに体を動かし、身支度を整えて玄関を飛びだす。母親のいってらっしゃいと言う声をサラっと聞き流して、清子に声をかけ、二人で市内へと足を早める。集合時間まで後走って五分程。今日は間に合いそうだ。そう考えていると、いつも遅刻なんて絶対に許さない優等生な清子が、今日は珍しく立ち止まり、私の裾をギュッと掴んでくる。
「どうしたの?遅れちゃうよ?」
上がりきった息のままにそう聞く私に対して、清子は視線を落としたまま、
「……今日は、ちょっと遅れてかない?」
と言ってきた。驚いた私が理由を聞くと清子は、何か凄く嫌な予感がするの、と。それだけをポツリと答えた。
困惑しつつも、良いよ、何か話したいことでもあるの?と聞いてみる。すると清子は凄く深刻そうな表情で、小さく頷いた後、
「だから、これだけはどうしても聞いておきたくて……愛子ちゃんは、恋とかって、してる?」
と、まさかの恋愛話を持ちかけてきた。さっきまでの不穏な空気とは裏腹にえらく可愛らしい話だ。私はその落差に毒気を抜かれて、思わず笑ってしまう。しかし、恋愛話は恋愛話で、私にとっては不都合な話題だった。そりゃあ私だって、恋くらいはしている。しかし、一番の問題は、その私が恋をしている相手が、目の前で、真剣な表情を浮かべている清子、その人であることだ。産めよ増やせよお国のために、だなんて標語がお国から発表されたのが6年前。女は出来るだけ多く子供を産む。それが絶対的な生き方として定められてる今この刻において、まさか幼なじみに、ずっと片思いをしているだなんて、そんな事を知られたら、一体誰に何をされるか分からない。目の前の相手にずっと抱いて拗らせてきた思いを拒絶される事と、社会的な死への恐怖が、私の言動を鈍らせる。
「してないことは、してない、けど……」
気恥ずかしさから思わず清子から目線を逸らして、遠く彼方の空を見つめる。今日はよく晴れていて、いい天気だ。もくもくと立ち上る入道雲が、真っ青な空と二色の美しい対比を作っている。清子は、なんだかショックを受けたような表情で、「そうなんだ………愛子ちゃんの好きな人は、今どこにいるの?徴兵、行ってるんでしょ?」
と聞いてくる。私は、今目の前に!なんて言ってその顔に指をさしてやりたい衝動をグッと堪えて、
「意外と近く、かなあ……そういう清子ちゃんは、急にこんな話題振ってきて。好きな人でもいるの?」
と逆に質問してみる。すると清子は、ビクリと体を震わせて、顔を真っ赤にしながら、いつもの明朗なそれとは全く異なった、わたわたとした感じで、喋り出した。
「わ、私の好きな人はね、その、い、いつもちょっとだらしなくて、遅刻気味で、でも、足が早くて、ちょっと抜けてるところも、逆に支えてあげたくなるっていうか、そんな感じの人で」
それって私のことじゃん、なんて言いたくなる、いくら自分が清子の事が好きだからって流石に自惚れ癖が強すぎる、そんな自分を押し殺そうと、私がもう一度、清子から目線を外して空を見上げた時だった。銀色の、鋭く光る戦闘機が空気を切り裂く。空襲だ、それもここから近い。その戦闘機が禍々しくも爆弾を出産する光景が、私の瞳に反射する。
多分、助からない。
「そ、それでそれでその人はね、今、私の目の前にいて」
言いかけた清子の体を抱き寄せて、押し倒し、清子の上に覆いかぶさる。すっかり目が蕩けた清子の唇に自分の唇を重ね合わせる。多分、私たちは両想いであることに、ずっと前からなんとなく気づいていたんだろう。それでも、拒絶されるのが怖くて、中々すり合わせられなくて、そんな青春の臆病心を、許してくれるほど、この世界は甘く、ゆっくりと進んではくれなかった。私が死んだ後でもせめて、私が清子に恋をしていたことが伝わるように、そんな必死な想いを胸に、もう一度、唇を重ねる。清子の視界には、私しか映っていない。それでいい、と私は心から歓喜した。
あ、と私は幽かな声を漏らす。思い、だした。五年前の、あの線香花火をした日。二人とも揃って慎重に持っていた線香花火は、すぐに消えゆく運命に抵抗するかのように、バチバチと、大きく弾けた。そうして弾けて弾けて、私たちがきれいだね、と笑みを交わし合った次の瞬間、その線香花火は、突風に吹かれて、ポテっと同時に、地に堕ちていった。

7/19/2024, 4:29:08 PM