sairo

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ふと気づくと、目の前は本の山。
図書館、だろうか。
広い部屋にたくさんの書架。それを隙間なく埋める、本。

「お待ちしておりました」

背後から聞こえた声に振り返れば、すぐ後ろには空色の妖の姿。
喜色満面の笑みを湛え、手を握られた。

「え、と…ここは?」
「わたくしの書庫にございます。貴女様に来て頂きたくて」

連れてきてしまいました。と頬を染めて告げられる。

「ここにはわたくしが集めた本や、炎のお話を書き留めたものを収めてあるのです。ここで貴女様とたくさんお話ができればと、そう思っておりました」

随分と好かれてしまったようだ。
とはいえ、私はあまり話す事が得意ではなく、むしろ不得手な方なのだが。聞き役でも問題ないのだろうか。
上機嫌な空色に手を引かれ椅子に座らされながら、少しだけ不安になる。

「わたくし、貴女様に感謝しているのです。炎のお話を聞いてくださいまして。とても、とても」

そう言って、自らも椅子に座りながら一冊の本をテーブルの上に置いた。
達筆な文字で書かれている為に、その本の内容がどんなものかは分からない。

「これはわたくしが炎が紡ぐお話を書き留めたものです。わたくしが一番好きな、恋の物語」

愛おしげに本の表紙に触れながら、空色の妖は詠うように言葉を紡ぐ。

「炎のお話はすべて本当にあった事なのですよ。鬼も、龍も、そしてその愛し子も。本当に存在しているのです」
「…うん。そんな気は、してた」

緋色は何も言わなかったけれど。それでもどこかで気づいていた。
紡がれていく物語はきっと、兄達と一緒になって遊んだあの山のいつかの記憶だ。
誰かが言っていた。昔は山奥に村があったと。誰にも辿り着けない、隠された不思議な村があるのだと。

「わたくし達妖は、人間と違い永久にあるモノです。しかしそれは絶対ではない…貴女様は妖が人間の望みに応える理由をご存知ですか?」

首を振る。
緋色には聞いた事はあったが、その理由までは知らなかった。ただ漠然とそういうモノなのだと認識していた。

「妖という存在は、人間の認識によって成り立つのです。人間から忘れられた、認識されない妖が消えていく様をわたくしは数多見てきました。ですから妖は人間が妖を認識する事を対価にその望みに応えるのです」
「認識…」

空色の着物を揺らし、妖は微笑む。

「わたくしは本が好きです。言葉よりも文字は永く残り、多くに広めてくださる。そしてだからこそわたくしは貴女様が好きです。妖と知っても恐れず、炎のお話を覚えていてくださる、優しい貴女様の事が大好きなのですよ」

真っ直ぐな好意の言葉に頬が熱くなる。けれど視線を逸らす事は出来ず。
恥ずかしさはあるけれど、その好意を、感謝を視線を逸らす事で否定してしまいたくはなかった。

「少々湿っぽい話になってしまいましたね。申し訳ありません。わたくしこんな話ではなく、もっと好きな本などの楽しいお話をしようと思っていたのですけれど」
「今から、でも。良いんじゃない?」
「お心遣いありがとうございます。ですが時間が来てしまいました」

その言葉の意味を聞くより早く。急な浮遊感と背後から伸ばされた腕に、誰かに抱きかかえられた事に気づく。

「荷葉」

いつもより低い声音。
振り返れば、どこか険しい顔をした緋色の妖の姿。

「少しお話をしていただけです。申し訳ありません」
「うん。本の、話を、してた」

張り詰めたような雰囲気に、何か言わなければと水色の妖の言葉を肯定する。
いつもより鋭い鈍色に、それでも視線を逸らす事はせずに。

「まだ、話していて、だめ?」
「……もう終わりになさい。これ以上は帰れなくなるわよ」

深い溜息を一つ吐いて。
緋色の纏う空気が緩み、いつものような気怠さを纏い始める。

「分かった。え、と。また、ね?」

出口に向かう緋色の肩越しに、そう言葉をかければ。

「!はいっ!また」
「本当に、馬鹿な仔ね」

対照的な緋色と空色の妖の言葉に、思わず笑みが浮かぶ。
今日の事にまだ少し心が浮ついているようだ。
だから、

「あまり深入りするものではないわ。戻り方を忘れてしまえば、壊れるのを待つだけなのだから」

緋色の微かな声を、苦々しく吐き出された言葉を、理解する事が出来なかった。



20240616 『好きな本』

6/16/2024, 4:09:10 PM