ある日、男はひょんなことから羅針盤という道具を手に入れた。
丸い板に複雑な星のような模様、針が取り付けられた造形は機能的でありながら美しく、優美ですらある。
何よりこれさえあれば、どうやらどこへでも行けるらしい。
尖った針は確かに一定の方角を指し示してくれる。
そう、これを使えば十年前に別れた友に会いに行けるのだ。
友は江戸という大層大きな町へ奉公へ出されたと聞いた。藩辺境の村で農作業に明け暮れる男にとっては天竺と同じくらい遠く、とんと見当も付かない場所だった。
会ったところで何をするのかも決めていない。ただ、この道具を使って友のもとへ行く。それを決めたこと事態が男を高揚させた。
そうして男は村を立った。
──2日後、江戸とは全く逆方向の山村で羅針盤を手に
「ここはどこだ!」
と叫ぶ男の姿があった。
男は方向音痴であった。
どんな優れた道具があろうとも、それを使いこなすだけの感覚と知識がないと便利にはならないものである。
ナビを使っても筆者が迷子になるように。
1/21/2025, 11:12:31 AM