霧つゆ

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 これは、俺が幼い頃。正確には小学二年生の頃の話だ。
 大好きだった祖父が亡くなり、心にポッカリと穴が空いたように傷心した日々を過ごしていた。
 親に怒られたときでも味方をしてくれ、たくさん褒めてくれた祖父は、俺にとって大好きで心の支えだった。
 そんな祖父が亡くなった寂しさから、定期的に祖父の墓に赴き、その日にあった出来事と、よく一緒に食べた饅頭を置いて、5時の鐘の音が聞こえるまで、ずっと話し込んでいた。
 ある日、いつものように祖父の墓に赴いた時、別の人があることに気がついた。その人は、墓場だというのに楽しそうに踊っていた。社交ダンスというのだろうか、見えない何かと踊っているように見えた。
 Yシャツに黒いズボン姿で、短い髪を揺らし、ゆらゆら左右に揺れたり、大きく回って髪をふわりと広げたりしていた。その姿が、なんとも素敵で、目を奪われた。初恋をしたんだ。

「きれぇ…」

 その言葉に、その人はピタリと動きを止め、言葉の方を探った。ハッとして口を押さえ、下を向いてしゃがみ込んだ。

「だぁれ?んー、君は小さいねぇ」

 ゆっくりと話す口調が上で聞こえた。顔を上げると綺麗な人が立っていた。ビックリして尻もちをついた。その人は、ふふっと笑って俺に背を向けた。

「今、丁度ダンスを披露していたところぉ。君も観客として、見ていくといいよぉ。」

 と言い、先ほどと同じように空中に手を添えて社交ダンスのような動きをしだした。虚無に笑いかけ、「上手だねぇ」と話しかける姿は、他の人から見たら異様な光景かもしれないが、俺にとってはそんな姿ですら、美しく惹かれていった。

 数分のダンスが終わると、その人はいろんな方向に会釈をしていき、最後に俺の方へと向いて会釈をした。
 俺は小さな手でパチパチと拍手を鳴らし、目を輝かせた。

「お姉さん…?は、いつもここで一人で踊ってるの?」

「お姉さん…。君がお姉さんというなら、お姉さんでいいよぉ。いつもじゃないよ。お客さんが来た時にだけ踊ってる。」

「お客さんって、おれ…?」

「君でもあるし、君ではない。」

「?」

「あんまり気にしないで。小さな君には難しい話だからぁ。」

「お姉さん、俺にもダンスを教えて」

「残念だけど、教えられない。」

「なんで?」

「君は小さすぎるからねぇ。もう少し大きくなったらねぇ。」

 そう言って、断られてしまった。それでも、初恋したあの人と踊るために、俺は何度も顔を出した。祖父の墓参りをしながらも、キョロキョロとあの人を探してしまう。
 運が良く、会えた日に「教えて」と言っても、その人は「まだまだ小さいねぇ」とだけ言って、虚無に向かい踊っていくだけだった。

 そうして、何日、何ヶ月、何年、何十年と時が流れていった。その人はある日姿を全く見せることはなくなった。俺もその人を思うばかりではいけないと、初恋を諦め、新たな恋に出会い、家庭を築き、80まで生きた。
 その頃には、祖父の墓には、今は祖母、叔父、父、母と俺の周りの人たちも身を納めるようになっていった。
 ついに、俺の番が来た。俺も年を取って身体が弱くなっていき、一人で生きていけない体になっていった。そうして、あぁ、最後にあの人にもう一度会いたかった。そう思いながら、俺は病院で息を引き取った。
 目を覚ますと墓場にいた。地縛霊にでもなったのかと疑ったが、そうではないらしい。死者は思い入れのある場所に49日間いるらしい。思い入れがあるのが墓場とは、なんとも生前の俺を叱ってやりたい思いだった。立っているのも疲れるので、しゃがみ込み下を向いた時、頭の方から声が聞こえた。

「大きくなったねぇ。」

 ハッとして顔を上げると、あの人が立っていた。驚いた顔をする俺に対し、その人は口を開く。

「私は、死者と最後の思い出を作るのが仕事。その中でも、ダンスをして思い出を残すっていう不思議な人だよ。」

 そうして、その人は手を開いた

「もう、小さくないから、踊りやすそう。」

「結局、貴方と踊ることはなかったから、踊れませんよ。」

「どうせ、49日も時間があるんだ。今から教えてあげるよ。」

 その人は俺にダンスを教えてくれた。あのときと同じ動き。楽しいと思う気持ちが増し、周りを見ると、他にも人がいることに気がついた。半透明な姿から同じ幽霊であることに気がついた。この人が言っていた観客は幽霊のことを指していたのか。と初めて気がついた。披露するのは恥ずかしいが、踊ることは楽しかった。そして、暫くすると俺の手から、その人は離れ、叢に向かって言った。

「?」

「だぁれ?君、小さいねぇ。」

 そう言われて出てきたのは小さな男の子。あの日の俺と同じだ。輝かせた目に、少し赤く染めた頬。きっと、あの頃の俺も同じような顔をしていただろう。
 なら、この人の魅力をもっと伝えたい。あの日と同じように、この人を輝かせたい。そう思った俺は、戻ってきたお姉さんと共に、精一杯踊った。
 お辞儀をした時、小さな弾ける拍手を聞き、なんとも嬉しくなった。

No.28 _踊るように_

9/7/2024, 4:23:59 PM