すゞめ

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 朝。
 ベッドで少しイチャついていたら、彼女が恥ずかしがって出ていってしまった。
 俺も少し時間を空けて寝室を出る。
 洗面台の鏡に映った己の姿に喚き散らした。
 気のすむまで騒いでなんとか精神を落ち着かせたあと、リビングまで移動する。
 彼女はキッチンで、俺が作り置きしていた味噌汁をコトコトと温めていた。
 いつもの小さなポニーテールはふたつに分かれて三つ編みで結われている。
 背後から近づき、その毛先にチョンと触れた。

「直らなかったんですか? 寝癖♡」
「や、見ないで……」

 振り返った彼女ははにかんで頬を膨らませた。
 しかしその顔はすぐに鍋に向けられて隠されてしまう。
 覗き込もうとしても頑なに顔を見せてくれず、思わず吹き出してしまった。

「かわいい」
「ねぇ。ヤダってば……」

 おさげにした彼女は普段より幼く見える。
 火を使っているからあまりちょっかいをかけられないため、チョンチョンと毛先を突いたりねじったりする程度にとどめた。

「恥ずかしいから見ないでって言ってるのに、そんな無理やり……」
「ええ、恥ずかしがるあなたはとってもかわいいですよ」

 わなわなと肩を震わせた彼女が、火を止めて再び俺に顔を向ける。
 顔を真っ赤にして見上げる彼女の目はまだ少し腫れていた。
 悩まし気に潤んだ瑠璃色の瞳は、昨夜の余韻をしっかりと残している。

 俺が、乱したんだよな……。

 俺のほうも昨日の熱が残っていたのか、ゾワッと背筋が昂った。
 見惚れていると彼女の眼光が鋭くなる。

「そ、そんなこと言うならそっちだって、起きたらほっぺたに充電コードの跡グルグルにつけて」
「キャアアアアアッ!!!!」

 彼女の言葉を遮り、両手で顔面を覆ってしゃがみ込む。
 プリプリしながら彼女がとんでもないカードを引き出して反撃してきやがった。

「やめてくださいっ! それ、さっき鏡見てめちゃくちゃ恥ずか死んだヤツっ! あの面晒してドヤりながらおはようのチューかましたとか本当に無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理ああああああぁぁぁぁぁ!」
「そう? かわいかったけど……」
「はあああっ!? 正気ですかっ!?」

 信じられない彼女の言葉に勢いよく立ち上がる。
 失言したと認識したのか、彼女は口元を隠して俺から目を逸らした。

「う……」

 かっっっわ、いっっ……っ!

 はにかんでプスプスとオーバーフローしていく彼女に天を仰ぐ。

 恋人フィルターえっっっぐぅ!?
 俺のこと大好きすぎだろっ!?

 ここが世界の中心だ。
 彼女の肩を掴んで俺は愛を叫ぶ。

「俺も大好き愛してます結婚します一生離さずに一緒の墓に入ります!!!!」
「うるさ」

 さっきまでのはにかんだ表情は幻だったのだろうか。
 表情を消した彼女は冷ややかな視線で俺を見据えていた。

「俺の一世一代の告白をなに断ってくれてやがるんですか?」
「来世で出直してもらえる?」

 ツンの容赦が一切ない。
 鼻まで鳴らされて俺の愛は一蹴されてしまった。
 もちろん、それで折れる俺ではない。

「来世もあなたと同じ時代に生まれ、同じ生物として生き、同じ空気を吸ってもいいんですか!?」
「来世ではアメーバかゾウリムシにでもなるつもりだったの?」
「え。俺が大量生産されるとか推しが被って地獄でしかないんですけど。せめて有性生殖できる生物として転生させてほしいです」
「いや、知らないしそんな権利私には持ってないけど……」

 小皿を取り出した彼女はそこに味噌汁を入れて味を見る。
 小さく喉を嚥下させたあと、目が眩むような笑みを向けた。

「れーじくんのお味噌汁は今日も最高だよ?」
「……ホンット、このお口はもうっ」

 なにが「けど」で「最高だよ♡」だ。
 なんにも話が繋がってないではないか。

 かわいい。

 ツンとデレの温度差で風邪を引くところだった。

「んぶっ!?」

 指で両頬を挟んでやったが、簡単にほっぺたが潰れるほど柔らかい。

「ちょ、急になにっ!?」

 俺の手を払って抵抗するが、引いてあげられるわけがない。

「なにって朝の栄養補給でもしようかと」
「はあ!? だって、さ、さっきベッドでっ!?」
「おや。ご自身が栄養だという自覚はあったんですね?」
「んなっ!? 違っ!? 待って、ヤダ! ねえ、ご飯っ」
「飯よりも心の栄養を満たすほうが先ですから」
「燃費悪すぎだろっ!? もっと大事にしろよっ!!」
「恥ずかしがってちょっとしかくれないからじゃないですか。あんなんじゃ食べてるうちから腹減りますって」

 舌で自分の唇を舐めた瞬間、彼女が硬直した。
 ベタなシチュエーションに弱い彼女には効果てきめんだったらしい。

「ということで、いただきますね♡」

 俺はその隙をしっかり利用させてもらい、彼女にキスをした。

「んーーーーーーっ」

 抵抗する彼女にかまうことなく、ガッツリと蕩かしたおかげで、味噌汁はすっかり冷えてしまったし、彼女の予定を大幅に狂わせた。
 このあと1日、いじけた彼女が俺と口をきいてくれなくなってしまったことは言うまでもない。


『フィルター』

9/10/2025, 6:24:25 AM