しぎい

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首輪をつけられた彼が、異星の公道を四つん這いで歩く。道を二足で歩く犬たちに笑われ、膝や手に擦り傷をつくりながら。

完全に犬の散歩である姿を直視するのは、かつてあの人に飼われていた身としては辛い。

散歩させられているのは、元僕の飼い主だ。

この世界では、イヌとヒトの常識があべこべになっている。
だからイヌは服を着て二足歩行し、人間はご飯を食べるときでも、トイレをするときでも、寝るときでも……その、全裸だ。

この屋敷の持ち主である狼みたいな犬が、いつも僕に対して言っている。

「ペットが服を着るか? お前、こいつに服を着せてもらってたかことあるか?」

比喩とかではなく狼そのものの顔で責められると、小心者の僕は何も言い返せなかった。

彼は、この屋敷の持ち主である狼男のペットであり所有物であり、同時に壊してもいいおもちゃだった。

新しい名前も与えられている。とても人間の名前とは思えないような、屈辱的な名前が。
嫌がる彼を無理やり散歩に連れていき、けけけと愉快そうに笑っている狼男の姿を見かけると、いつも微妙な気持ちになる。

彼も最初のころは自尊心があった。
ドッグフードは食べたくないときっぱり断ったり、首に鎖を繋がれながら全裸で散歩をすることに抵抗を見せたりしていた。

だが飢えには堪えられないのは、イヌもヒトも同じだ。
ヒトの食事を与えられず、半ば断食状態にあった彼は、五日目になってとうとうドッグフードに手を伸ばしてしまった。
それに安堵していた僕だけではなく、屋敷で働く犬のほとんどだった。下に見ている人間とはいえ、餓死させては夢見が悪すぎる。

「水で五日か。人間は堪え性がないなあ」

狼男は、けけ、と意地悪く笑った。おとぎ話に出てくる狼男でも、たぶんここまで意地悪じゃない。

この星のイヌは、みんなヒトを下に見ている。だから僕だけは彼の味方でいたい。
けど分かるのだ。この星に来てから三ヶ月も経っていない僕の本能が、この世界に同化しつつあるということが。

彼も人間だったころの記憶がだんだん薄れつつあるようだ。ここ最近は夜も逃げ出そうとせずに、犬小屋でおとなしく寝ている。

僕はこの世界に染まっていく自分を認めたくない。
人間の記憶を忘れ去ろうとする彼を見ていると、たまらなく切なくなる。それでも何もできない自分の無力さが歯がゆい。

「それはできないんじゃなくて、努力をしていないんじゃないか?」

意地悪な狼男に、核心を突くような一言を言われたときはどきっとした。

「いや、別に悪いことじゃない。そういう存在に成り下がったんだよ、あの人間は」

違う、と否定しようとしたけど、声に出ない。おかしいな。せっかく言葉を話せるようになったのに。

たまに当てつけのように、彼の世話を任されることがある。
鞭で傷だらけの背中を見ていると、彼がまだ人間だったころに言っていた言葉で、ひとつだけ思い出せるものがある。

『知ってるか? 人間の肩甲骨は天使の翼の名残なんだってさ』

いつか彼が、健康的な色の背中を突き出しながらそう言った。たかが犬の僕に。

君の背中から、どうか羽根が突き抜けて出てきてほしい。
そうしたら君はあの粗末な犬小屋から抜け出して、人間の尊厳も取り戻せる。

そう願いながら、僕はまた鎖を犬小屋に繋いだ。




(犬の惑星if)

2/9/2025, 3:55:43 PM