君の奏でる音楽
「…献杯をしたいので、白いカクテルを」
ふらりと入って来たその人に、マスターは「ホワイトリリー」を出した。アブサンの風味がきいた、私の好きなカクテルだ。
「…とても美味しいですね」
その人の声は低くて柔らかで、弦楽器を思わせた。
その後も彼は時々現れ、タリスカーのロックを呑み、最後にホワイトリリーを頼んだ。
今日も彼はタリスカーを呑んでいる。そう言えば彼が初めて来た時に自分も呑んでたな、と思いつつ、同じものを頼んだ。
マスターが誰かと喋っている。お酒を呑むための空間は、たとえ呑まなくてもみんなが少しずつ心地よくなれる、そんな場所であってほしいものだが、ここはまさにそういう店だ。
「ええ、よくいらしてますよ。初めてお作りしたカクテルも、あの方が昔僕の先輩に作ってもらったから、とリクエストされて覚えたものでして」
何だか話のネタにされているらしい。
「え、これを弾いてらっしゃるんですか⁈ いえ僕は単にこの曲が好きで、クラシックに詳しい訳じゃなくて…そうでしたか」
流れているのはバッハの『無伴奏ソナタ』。ヴァイオリンの音色が何とも美しい。ただ私は、BGMくらいに控えめな彼の声の方により興味を持っている。何と言うか、聞こえるとほっとする声なのだ。
ほぼ空のグラスをくるりと回すと、覚えずカラン、といい音がした。
「最後に何か飲みます?」
「じゃあラヴィアンローズを」薔薇色の人生。柘榴と桜桃と檸檬、人生はそんな味で満ちている。
「…同じものをお願いできますか」低くて柔らかな声がそう言った。
彼には若くして亡くなったいとこがいる。ヴァイオリン奏者だった。
あの日が命日だったんです。店に入った時、彼の演奏が流れていた。そして、カクテルが美味しかった。
ちょうど曲が終わった時に、貴方のグラスの氷がカラン、って言ったんです。
綺麗な音だな、と、思いました。それに、あなたはいつも楽しそうに話す。まるで音楽みたいに。
彼は本当にいい声をしていて、ラヴィアンローズは今日も甘くて酸っぱかった。
最近私たちは待ち合わせをせずにその店に行く。そしてどちらともなく、隣に座る。
彼の声は、私の一番好きな音楽だ。
8/13/2024, 11:18:44 PM