雨の香り、涙の跡
「雨の香りがする」
薄曇りの空の下、彼女はそう言った。
「雨に香りなんてある?」
そう言う僕に
「都会の人間にはわからないよねえ、ふふふ」
と笑うその顔は得意げで、しかし彼女がそう言った少し後には毎回必ず雨が降るのだ。
ポツポツとまばらに落ち始めた雨は次第に雫の数を増やして、気づけばけぶるように辺りを覆う。
「田舎の人ってみんな雨のにおいがわかるの?」
「うーん、君も2年くらい住んでみたらわかるようになるかもね?」
「じゃあ……住んでみようかな」
「え?」
「結婚する?君の田舎に住むよ」
「えっ」
まるで思いつきのようなプロポーズは、実はずっと前からタイミングをうかがっていたのだけれど、今ここで言うのは自分でも予想外の展開だった。
彼女は笑った。
「田舎の暮らしに耐えられるかな?」
僕も笑った。
「慣れてみせるよ。雨の香りがわかるようになるまで」
彼女の頬を伝う雨の筋が、涙の跡のように見えた。
随分と後になってから聞いた。
あれは本当に泣いていたのだと。
「雨の香りがするね」
と僕は言う。
「君もすっかりわかるようになったねえ」
と彼女が笑う。
今日の空も、あの日のような薄曇りだ。あと少ししたら、きっと雨が降るだろう。
6/19/2025, 12:30:56 PM