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"誰もがみんな"

今私が書いているのは20時なのでこう挨拶させて頂きます。
こんばんは

お題とマッチするかは分かりませんが、何を書きたいかは決まっています。
ですがどう書くかは決まっていません。

ずっと長い間、頭の中だけで練り込んできたお話しなので言語化が難しく悩んでいます。

ですが、書かなきゃ始まるものも始まらない
書いてみようと思います。



ふと、自分の腕を眺めてみてこう思う。
「この腕が私から外れた時、その名称は"私の腕"となる」

脚でも同じことが言える
髪でも目でも耳でも鼻でも、なんでも"私の"が先に付くのだ

では、それらの所有主である"私"は一体どこにいる?
私の全てをバラバラにした時に"私の"ではない部分が無いのではないだろうか

…取り敢えずバラバラになった私を戻してみよう
全てが揃っている状態が"私"であるのかもしれない

でもこう考えられる。
腕が取れた私は全てが揃っているとは言えない。
では何かが欠けた時に私は私では無くなる。とも言えない。

どんどんどんどん"私"から"私の"を取り除いてみると
"私の頭"を取ってみたところで私がいなくなったのを感じた

動かぬ体、動かぬ頭
私はどこにもいなくなった。

では、体が動いていたらどうなるのか
それは奇しくも私と呼ばれるかもしれない

私の自我が、私を私たらしめている部分なのか
寝ている私は、自我を持っているとは言えないかもしれない
寝ている私は、私でないとは言えない。

こんなに考えてもなかなか自分が納得する答えに辿り着けず、もやもやする。

では心か。何かを考えて、何かを感じる
そして、何かを表現する心が自分自身であると言っても過言ではないかもしれない

では、心はどこにある?

胸の辺りに手を当ててみるが、そこに心などというものは存在しない。それでは脳味噌の中にあるのかと思うけれど勿論そこにも存在はしていない。

自我もそうだが概念を自分自身というには頼りなさすぎる気がする。

けれど、人はそうなのかもしれない。
そんな不完全で危うい存在が人というものなのかもしれない

誰もがみんな、そこに存在していて
そこに存在していない。



稚拙な文を長々と失礼しました。
自分自身は心であるという結論に納得いっていません

私は頭がいいわけではないので考えれば考えるほどよく分からなくなっていきますが、確かに存在はしているのだろうと思います。

皆様がどう思っているのか、どこかで知ることができたら
とても嬉しく思います。

2/10/2026, 11:50:14 AM