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 恋は感情であれば汚い、精神が物質であるかのように作用する感情は、外部に沿った心の動きという点で感覚と共通している。しかし両者は決定的に違う。自我の不分明に気づくのが感覚であり、世界とは別の堅固な自我を信じるのが感情である。感覚の種を撒くのは私ではない。世界に対して心は感じ取る、受け取る、しかない。ここに自我は破綻する。私が世界を認識するのでなく、私は世界と溶解しているのだ。一方、感情はどうかといえば、世界に対する自我を堅固に保ち、いつまでも「私」と主張する。「私が」「私は」「私の」。これが恋なら美しいわけがない。
 反射する心、感覚とは心で反射された光だと感じる。それは光であるから、反射させる側の意思は介在しない。これぞあるがままの世界。

6/4/2024, 12:15:51 AM