ヒロ

Open App

近頃、職場であまり怒らなくなった。

先日の面談でも指摘されたところを見るに、自分の自覚だけでなく、周りから見てもこの変化は確かなものであったらしい。

いや、そもそもの話。社会人として職場で怒りを爆発させるのは良くないことだと百も承知している。
分かってはいるが、過去の怒りっぽかった自分について一応の言い訳をさせてもらうのならば、私の職場は医療機関の一つ。
医療事故を未然に防ぐ意識をもって業務に当たるのは心構えとして当たり前。
それなのに、ヒヤリハットの観点から見ても、明らかな手順違いや勝手な解釈で雑な作業を行うスタッフに、物申したくなった私の気持ちも察して欲しい。
再三の指摘にも無視をして、憮然と仕事を続行する様には堪忍袋の緒が切れた。
堪らず当時の上長へ異議を唱えれば、
「地元で有名なクリニックの息子さんだから注意できない」
と言って庇い続け、挙げ句の果てには私の方が悪者になる始末。
日頃から頓珍漢なことをのたまうおかしな御仁だったが、 この日を境に彼らへの信用が地に落ちたのは言うまでもない。
百歩譲って。嘘も方便に、「ご時世上、ちょっとの注意もパワハラになりかねないから」などとでも話してくれていれば、私の溜飲も下がって拗れずに済んだだろうに。
今思い返しても気分の悪くなる話である。

さて。そのような経緯もあって、腸が煮え繰り返ることも度々あった私だが、冒頭にて述べた通り、めっきりと怒らなくなった。
まあ、細かいことを申せば、不満に思ったり、怒れることは未だにある。
それでも目に見える変化があったのは何故だろうか。

怒る必要がなくなった――と言えたら一番理想的だが、おそらくそうではない。
某クリニックの息子は今も在籍しているし、おかしなことも忘れた頃にやらかしてくれている。
懲りない勤務態度にいよいよ愛想が尽きて、目くじら立てる気も失せてきた。という面も大きい気がするが、それよりも、気をそらせる趣味や楽しみで、プライベートのときに心をリセット出来るようになったからのように思えている。

簡単レシピでお店並みのご飯が食べられた。
お見舞いに行ったときに祖父の笑顔が見られた。
心待ちにしていた漫画の続きが読めた。
アカペラ動画のハモリに感動した。
推しているシリーズの続編制作発表に歓喜した。
リスペクトしている脚本家さんの愛読書に、自分も好きな本のタイトルを見付けて舞い上がった。

そういった小さな喜びの積み重ねで、仕事のときに生じたマイナスの感情を相殺、或いは塗り替えられるようになっていたのではないのかと分析する。
とは云えこれらだって、事柄は違えど以前から続いていることなので、どうして急にプラスとして大きく作用するようになったかははっきりしない。

まあ、強いて上げるとするならば。
その楽しみの中の一つとして、今年になって気紛れに始めた、この『書く習慣アプリ』が一役買っているところもあるのかもしれない。
本来ならば、一番の趣味は絵を描くこと。けれども最近は、昔のような頻度ではなかなか描くことが出来ていない。
年に一回、年賀状のイラストを描くくらいなのが寂しいところだ。
そういった知らずのフラストレーションも。次点で好きだった物書きの真似事をすることで、発散できるようになったことが一番の変化だったかもと、今更ながらに気が付いた。

お世辞でも何でもなく。
フィクションの空想話だったり、ノンフィクションで日記めいた話であったり。
くたびれて書けない日もままあるが。
徒然と思うままに吐き出すことが、日々のメンタル維持に、案外大切だったのかもしれないと、そう思う。


(2024/08/13 title:050 心の健康)

8/13/2024, 9:01:13 PM