川柳えむ

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 深夜の薄暗い部屋。
 電球に照らされ、影がゆらりと揺れる。
 引き戸をずらして、そっと部屋の様子を窺う。
 そこには誰もいない。

 でも、確かにいるんだ。何かの気配が。そろりそろりと底を這うような。得体の知れない何かが。

 ――どこだ? 隠れている?

 包丁を持って、うろうろ……。

 逃げる。
 僕は逃げる。

 ――安全な場所はどこにある?

 何かがいる。どこかにいる。
 逃げ場所なんてどこにもなくて、一人部屋の外で膝を抱える。片目で引き戸を睨む。
 その引き戸が、ゆっくりと、開かれる。
 その向こうに、キラリと光る、片方の目。
 そして、その全てを、静かに現した。

 手に持つものは――包丁。
 いつの間に手にしたか、僕も同じものを持つ。
 殺される前に――振り下ろす。
 何度も、何度も。

 ラジオから微かに流れるノイズ。

『――……本日、――ザザッ――……で……があり――……人、死亡――……。なお、現在――……。……また、……により……ザザッ――』

「アハハハハハハハハ!」

 そいつは笑った。血塗れで僕を見てくる。
 僕は叫ぶ。
 血塗れの姿の僕。
 そいつは、僕の姿。
 殺したはずの、そいつ、僕の姿。

 怖くなって、また逃げ出す。

「逃げるなよ!」

 横たわったそいつが言う。

「また逃げるのか!」
「お前にはお似合いだ!」
「殺しても殺せない!」
「臆病な自分は殺せない!」
「一生ついて回るさ!」
「逃げられると思うなよ!!」
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ……!」

 頭の中から声がする。

 もう、何も、見ない。
 僕は、悪くない。

 ほら、そいつは、死んだ。
 もう歩き回らない。もう怯えなくていい。もうどこにもいない。
 僕が殺したんだ。

 今日みたいな夜は魔物が潜む。
 カーテンの隙間から射し込む月明りが僕を照らした。


『特別な夜』

1/21/2026, 12:07:16 PM