K作

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題 大地に寝転び雲が流れる・・・目を閉じると浮かんできたのはどんなお話し?

リ──────ィ⋯⋯ リ──────ィ⋯⋯ リ──────ィ⋯⋯

「本当のこと言うと、私、貴方を口説いてみたかったのです」
野球少年・涼介は、ばちっ!とその鋭い目を見開いた。
ここは⋯⋯ 山本家の墓場だ。真夏のカゲロウの中に墓石が並び、各々の家の名が刻まれていた。
目の前には、薄い柚色の浴衣を着た、しっとりと美しい女が菊の花を活けていた。その白い首筋からツ、ゥと汗を流し、それがいやに色っぽくてドキドキした。
涼介は、女が暑くないように、白い日傘を差してやっていた。大切な将来のお嫁さんが、日射病にでもなったらたまらない、と思い思い、はて、ただの高校生である自分に、お嫁さんなんていただろうか、と正気に戻りかけていた。
己の名は「浅田涼治郎」。帝国陸軍少尉であり、今日この場所には、あと数刻もすれば日が暮れるというのに、女がどうしても墓参りに行きたいと言うから一緒に来たのだ。仕事着である軍服を着たまま乙女の後ろを歩く姿は、さながらお姫(ひい)さまと用心棒であった。
女の名は「山本水仙」。戦時景気の波に乗った成金の一人娘である。みんなからは、お仙ちゃん、とか、仙女さま、なんて呼ばれ、櫛で髪を梳くみたいに可愛がられて育った娘である。
涼介は己に関する過去を、歴史書を読むみたいに理解していた。
しかし体は涼治郎なので、涼介はお仙ちゃんに恋をしていた。涼介のタイプは野球部のマネージャーのような、ショートカットで、ダイヤモンドみたいに笑う子のはずなのだが(実際、入学式で知り合ったかわゆい子がマネージャーをすると聞いて、野球部に入ったので)。けれど今、自分は、濡れ羽色の長髪を低くまとめた、しっとりと奥ゆかしいこの水仙に恋をしている。
つまりは涼治郎の体に、涼介の魂が入っていた。
「涼治郎さん、おモテになるでしょう。だから、私なんかでいいのかなぁって、思って。ほら、四条さんとこのツルちゃんとか、よく笑う愛想のある子の方が、寡黙な涼治郎さんにお似合いだと、思って」
「⋯⋯ 」
「貴方に手紙を送る子や、腕に擦り寄る子が、羨ましんですの」
「⋯⋯ 十分だと思いますよ」
はわわ、と声が出そうになった。お仙ちゃんはいっさいこちらを見ず、たどたどしくお花を整えている。多分、これは、お仙ちゃんにとって一世一代の告白だ。涼治郎はこんないじらしい子に恋されているのか、と羨ましくなった。
「水仙さん、オレね、今ね、」
「オレ⋯⋯ ?」
「あ、私?ね、涼治郎じゃないんだよ。涼介って言うの」
「え、え⋯⋯ ?」
「ごめんね、わかんないよね、」
涼介は丁寧に説明してやった。日傘を肩にかけてしゃがみ、ふたりでコソコソ話でもするかのようにくっついた。見た目は涼治郎だが中身は違う人間であること、自分は先の未来に生きている高校生であること、なぜ涼治郎の体に入ってしまったか分からないこと。涼介自身にも分からないことが多いのだが⋯⋯ 。
「信じられない⋯⋯ 」
「オレも」
「でも、いつもと雰囲気は違いますね」
「ね、水仙さんから見て、涼治郎ってどんな人?」
「え!⋯⋯ ぅ、かっこいい⋯⋯ 」
「⋯⋯ いいなぁ。ごめんね、さっきは告白聞いちゃって」
「告白?!ちがいますよ、⋯⋯ ただの、わがままです」
「わがまま?」
お仙ちゃんはうつむいてしょんぼりしてしまった。
聞けば、お仙ちゃんと涼治郎は家が決めた許嫁なので、愛を確かめ合ったことは無いという。確かに涼治郎の記憶にも、そんな出来事はなかった。
でも、涼治郎は、確実に水仙に恋をしている。でなければ、涼介が出会ったばかりの、タイプでもない女を好きになるはずがない。帰り道が橙色に染まる夕刻、隣を歩く乙女に、涼介はずっとドキドキしていて、スズムシの音すら聞こえていなかった。
「だからね、私、涼治郎さんを口説いて⋯⋯ 好きって言われてみたい」
「かわいいかよ」
まったく涼治郎は何をやっているんだ。こんなにいじらしくてかわゆい子をどうしてほっとけるんだ。いや、ほっといては居ないんだろうが、たった一言の好意がどうして言えないんだ。と、涼介は己の体の元持ち主に悶絶した。
「でもね、女が男の人を口説くなんて、変でしょ?はしたないって思われるかも⋯⋯ だからね、待ってるしかなくてね、今日は、その、私が待ってることを知って欲しくて、あんなこと言ったの⋯⋯ 」
「そっかぁ」
この時代では、女が積極的になるのははしたないことらしい。特に社会的地位が上な程、その傾向は強くなる。それはまァ、時代的に仕方ないのかもしれないが、好きな子が困っているのだ、力になりたい。
「じゃあさ、オレで練習しなよ」
「え、?」
「オレ今は涼治郎だもん。水仙さんにアプローチされて、涼治郎がどう思うか、分かるよ」
「ほ、ほんと?でも⋯⋯ 」
「大丈夫、私、涼治郎じゃなくて、涼介だから」
お仙ちゃんは、困惑しながらも、「わ、かった」と立ち止まった。立ち止まって、スッ、と息を吸って。
「えっと、涼治郎さん、好きです」
それは核にも似ていた。落とされたらたまったものではない、痺れから引き返せなかった。だんだんと体から力が抜けて、心臓が爆速で動き出した。全身の血管が締まっていたのだ。
「ど、どうですか」
「ヤバい、涼治郎まじか⋯⋯ 重」
「お?」
「何でもない。えっと、死にそう⋯⋯ 」
「死⋯⋯?!」
「違う、違う」
涼介は軍帽で目元を隠して、お仙ちゃんから少し距離を取った。だって、とんでもなかった。夕暮れでも分かるほど顔を赤く染め、恥ずかしそうに指を絡めて、少し潤んだ目で見つめられて、あの言葉⋯⋯ 。それを好きな女の子から言われたのだ、とんでもなかった。
「びっくりした。死ぬかと思った」
「やっぱり嫌でしたか、」
「ううん、違うの。ダメだね、未来人はすぐに死ぬって言う⋯⋯ 。その、すっごいドキドキした。涼治郎、めちゃくちゃ喜んでる」
「ほ、ほんと⋯⋯ !」
乙女は宝石ように喜んだ。なんだか今なら、涼治郎がお仙ちゃんを好きになった理由がわかった気がした。
「でも、今のは告白だからなぁ。涼治郎が好きって言いたくなるようなことしないと⋯⋯ 」
「そうでした⋯⋯ ごめんなさい」
「いや、めっちゃ嬉しかったけども」
濡れ羽色の乙女は、見当違いなことをしてしまったことを恥じて、小さく謝った。そして少し考えて、ずっと前からしてみたかったことを思い出した。今は涼治郎では無いとはいえ、涼治郎の体に触れるのは、すごくドキドキした。
「⋯⋯ 、」
「あ、歩いて」
「ぅ、うん、」
「⋯⋯ ヤじゃない?」
「ヤじゃない」
涼介はスルりと手を取られてドキドキした。お仙ちゃんの手は、少し冷たくて柔らかかった。現代では、カップルが手を繋ぐなんて、初歩中の初歩である。しかし(真に)古風なふたりがその初歩を行えば、このザマであった。涼介は日本の伝統純愛を追体験して、「大正ロマンやべぇ」と、あんまり回っていない頭で思った。
「ど、どうですか。好きって言いたくなりましたか」
「いやァ、うん、どうだろ。ヤバいね、これ、頭ん中8割水仙さんだわ。あ、⋯⋯ あ、そっか、そういうことか、涼治郎」
「、?」
涼介はもう8.5割くらいお仙ちゃんで侵食されている頭で、ひとつの可能性を見出した。橙色の太陽が、ジリジリと沈んでいた。
「水仙さん、あのね、」
「はい、」
「あのね、涼治郎が戻ってきたら、「私、涼治郎さんのこと口説きたいです」って、言ってあげて」
「え、?」
「ね。きっとね。」
太陽が完全に沈んだ刹那、涼介はばちっ!と目を閉じた。

次に目を開けた時、目の前には顔色の悪いマネージャーの顔があった。夕方の河川敷、草むらの上に横たわり、スズムシが鳴いていた。
「よ、良かった⋯⋯ 」
「⋯⋯ 」
「今日暑かったから、熱中症かもって、監督が。救急車、もうすぐ来るからね、安心してね」
「スイちゃん、」
「なに?」
「オレ、スイちゃんのこと口説きたい」
「⋯⋯ え、!」

リ──────ィ⋯⋯ リ──────ィ⋯⋯ リ──────ィ⋯⋯

5/5/2023, 9:58:52 AM