身体についた塩をあらかた払い、濡れたスーツを軽くまとめて事務室に集まる。浴室に転がっていたこの事務所の主は、美少女によりひっ叩いて起こされていた。
事務室では温かいコーヒーとともに、45度に腰を曲げた美少女こと紗枝ちゃんが出迎えてくれた。
「先ほどは失礼しました。叔父に呼ばれて来てみたら、空気が重かったので。どこか行ったなと…」
黒く艶やかな髪がさらりとゆらめく。
「いや。確実に悪いとこに行ったのは俺たちだ。今回も悪いな、紗枝ちゃん」
「叔父からきっちりバイト料もらうので大丈夫です」
後頭部をボリボリと掻いてばつが悪そうな鳶田に、紗枝が口角をあげて応える。
「あの…やっぱり、悪いとこだったんですかね…なんか憑いたり、とか」
やり取りを眺めて一歩控えてはいたが、不安に駈られて守山が訊ねる。
「憑いたとか、呪われたとか、そんな感じではないので大丈夫だと思います」
きっぱりと言い切られて安堵するも、ただ…と続けられた言葉につい身を構えてしまう。
「悪い空気になってる、と言えば分かりますかね?この空気持ってると暗い気持ちに引っ張られるみたいな」
「気持ち…」
唇から漏れ出すように呟いた守山に、紗枝は軽く頷く。
「叔父から今回の件は軽くですが聞いています。恐らく人の執着心や強い念が、蟻地獄みたいに人を惹き付けては命を吸っているんだと思います」
紗枝は事務室をくるりと見渡して、理解できていないと踏んだのか、そのまま続けた。同時に差し出されたまだ温かいコーヒーに口をつけながら、続きを待つ。
「なんて例えたら良いかな…雪だるま。雪だるまは雪の上で転がしたらどんどん大きくなるでしょ?海神様もそれと同じで、すごく強い想いを吸収してるんだと思う。溢れ出た想いって、すごく重たいエネルギーで。それを吸っているのが奴なんです。」
一度軽く息をついて、ゆっくりと目を伏せる。
「雪だるまだって最初はすぐに溶けてしまう儚いものだったけど、大きくなればなるほど溶けにくくなる。泥も巻き込むから、だんだん濁って、溶けて固まって。中の方は淡い雪から氷になって。海神様もそれと同じ。最初はきっと誰かへの淡い気持ちから来てるはずなんです」
紗枝ちゃんはゆっくりと言い切ると、全てを飲み込むようにカフェオレを流し込んだ。
カップを離すと、噛み締めるように言った。
「きっと、今は実体を持っています。色々な念を渦めかせて」
2/6/2024, 9:28:29 AM