「Evening 」
濃い霧を抜けると、水平線の奥まで広がる水面が、鏡面が如く淡い光を反射する。足の甲が浸かるほどの深さの水の中で歩みを進めれば、揺れた鏡面が反射する白い光を散らす。
空を見上げれば、まるで薄い雲の上で、空全体が自ら光を放つかのように、たまご色に輝いている。
後ろを振り向いても帰る道はない。同じ穏やかな水たまりが、水平線を描いているのみである。
下を見下ろせば、水面の下に広がる世界が映し出される。斜陽に照らされただいだい色の絨毯を駆ける、千差万別の生命。頭に美しいツノを携えたものもいれば、大きく鋭い牙に涎を垂らして獲物を見つめるものもいる。
少し進めば水面下に新たな景色が現れる。迷路のように大小の植物が茂るここにも、美しい生命が飛び回る。極彩色の翼をあざやかに操り空を翔けるもの、他よりも遥かに高い知能を持った手足の長い器用なもの。
進めば異なる景色、さらに進めばまた異なる景色。あらゆる生命の源、ただ自然の摂理に従うだけ、全てににおいて調和のとれた、誰の意志にも支配されない生命の果て。
これこそユートピア。僕が生まれ、そして抜け出してきた世界。
ユートピアの先にあるのは、世界を分かつ鏡面と淡い光だけが存在する、無の世界。
神の意志にのみ従う下の世界は、僕にはうるさすぎた。本能のままに、自然がつける順番に従ってただ生命が奪われ、そして生命が誕生する、その繰り返し。
悪意に満たされたユートピアは僕の心を壊してしまった。
果てを抜け出して、無の中に在る僕はユートピアから持ち出した一粒の種を鏡面に植える。しばらくしてそこから現れるのは、幹から美しく伸びた枝に、たった一つだけぶらさがるこがね色の果実。
僕の背後から、鏡面に揺れる波が現れた。振り返るとそこにはもう1人の"ヒト"。
僕にはわかる。夕焼けのような赤い光を背負った彼女は生命の上澄み。
僕らが在る、この無にとって、金色の果実を得た僕ら2人は、新しい世界の"始まり"。
10/31/2023, 11:00:25 AM