こうして波に漂っていると、幼い頃のこと、思い出すんだよな。
幼い頃って、いくつくらいのこと?
さあ…でも俺、家族で海に来たことなんて無かったし、海を初めて見たの、大学生ん時だから。
…じゃあ、その思い出は何なの?
…何なんだろ?それこそ、母親のお腹の中にいた時の記憶だったりして。羊水の中でたゆたう赤ん坊、みたいな。
そんな頃のこと、覚えてるもんかな?
どーだろ?…ああ、でも俺、難産だったらしいから、母親への罪悪感で記憶してんのかも。こっちの世界に来たら、居心地が良かったこと伝えようと思って。
…何それ?こっちの世界って…気付いてるの?
気付く?何を?
昨日は波が荒かったからね。泳ぐのは危険だって言われたのに。
…そーだったね。言われた。でも、彼女にイイとこ見せたくてさ。…そーいえば、俺の彼女は?一緒に泳いでたはずなんだけど。
彼女は無事だよ。一命を取り留めたの。良かったね。
…え?彼女、何かあったの?なんで俺がそれ知らないの?
知ってるはずだけどね。知らないままでいたいのかもね。
どーゆーことだよ。てゆーか、お前、誰?なんで俺の手を引っ張って沖の方へ連れて行くの?
…覚えてない?あなたが生まれる時も、私が案内したんだよ。
生まれる時って…さっき言った難産の時?あの時の看護師さん?
違う。母親のお腹から出る時じゃなくて、母親のお腹の中に生まれた時。あっちの世界に、あなたの存在が芽生えた時。
…えーと、俺は…死んだの?
どうして分かったの?今の言葉に何かヒントがあった?
いや…こんな異常な状況、それくらいしか思いつかないよ。それにお前、天使ヅラしてるもんな…羽はないけど。
どうして私が天使に見えるの?羽もないのに。私はただ、あなたを案内する役を頼まれただけ。生まれた時と、死んだ時のね。
俺の人生の始まりと終わりを?確かに短い人生だったけど、なんでまたそこまで。
こうやってね、生まれ変わりを待ってるんだよ。私はあなたのお世話をして、そしてあなたの近しい存在として生まれ変わるの。
俺の…近しい存在?それって…。
あなたの彼女、妊娠してるでしょ。ホント、助かって良かったね。
…え?嘘だろ…?
まだ、あなたのことをお父さんとは呼べないけど、きっとこれからそうなるの。あなたから見たら天使みたいな赤ちゃんが生まれるよ。…そう見えたんでしょ?
俺は…会えないのか?
会えたじゃん。でもどうせあなたも私も、それぞれの世界に行ったらすべて忘れるんだよ。思い出は、この記憶の海に沈んでゆくの。だからお母さんのこと、思い出したのかもね。
ちょっと…待ってくれ。
…ごめんね。もうすぐあなたのことも忘れるよ。そうしないと、次の人生を生きていけないから。あなたも向こうで生まれ変わりを待って、またどこかで、どんな形か分からないけど、会えるかもしれない。
…分かった。幸せになれよ。俺、見守ってるから。きっとまた会いに行くから。
ありがとう。じゃあ、次の波が来たら、さよならね。待ってるからね…お父さん。
5/13/2025, 1:24:42 PM