テーマ『誰よりも、ずっと』 ※ギャグです
自室の扉を閉め、制服のままベッドに倒れこんだ。
そこら中に充満する自分の匂い。ホッとした途端、目元から生暖かい液体がにじみ出てくる。
クラス全員の前で、恥をかいた。
僕は昔から、緊張すると腹痛が起きやすい体質だった。
胃が痛い腹痛ではなく、下痢やおならなど胃腸が動いて起こる腹痛である。
今日は体育で、体操のテストがあった。
マットの上で自分が選んだ技、例えば前転とか側転とかを選んで、先生の前で披露しなければならない。
運動全般が苦手な僕は無難に簡単な技を選んで、今日までの数時間、そこそこに練習をしたつもりだ。
そして今日の本番。見事にやらかした。
まず最初の前転をした時のことだ。元々緊張で張っていた腹部が締め付けられ、武道場に放屁の音が鳴り響いた。
雑談が止み、静まり返る周囲。しかし僕のテストはまだ続いている。けれどもそれどころじゃない精神状態の僕が、いつも通りの動きなどできるわけもなく。
後転でマットから逸れ、その後の飛び前転では額を強打し、最後の側転は足が上がりきらぬまま終わった。
幸い先生は何事もなかったように「お疲れ」と声を掛けてくれた。
しかしテストを終えた僕を見るクラスメイトの目が、どこか憐みに満ちている。
何より僕自身が、自分の体質や、意に反して出たおならを許せなかった。
六限が終わり、僕は一目散に家に帰った。
頭の中ではずっと、体育の授業で感じた羞恥心の回想と、不甲斐ない自分の脆弱な精神への攻撃が繰り返されていた。
今、自室でベッドに伏せて涙する自分は、いったいどれだけ情けない人間なんだろう。
明日、僕はどんな顔をして学校へ行ったらいいんだ。
変なあだ名を付けられてたらどうしよう。
考えれば考えるほど、嫌な妄想が頭を埋め尽くしていく。
「ピンポーン」
突然、玄関のインターホンが鳴った。
おかしい。母親はこの時間スーパーのパートに行っているはずだし、父は仕事で夜に帰ってくる。
じゃあ、誰が?
「ケント君、ボクだよ。ツトムだよ」
ツトムくん? あの、クラスメイトのツトムくんか。
「どうしたのツトムくん。僕に、何か用かい?」
「突然家に来てごめんね。よかったら、家に入れてくれないか」
「ごめん。僕は今、人と話す気になれないんだ。また明日学校で会おう」
「体育の授業でおならしたこと、気にしてるんだろ?」
頭にカッと血が上るような感覚があった。
僕は急いで玄関を開けて、僕より少しだけ背の低いクラスメイトを玄関に引きずり込んだ。
「……なんだよ。わざわざ家まで来て、僕のことを笑いに来たのか」
「違うよケント君。逆だよ逆。変に慰めても逆鱗に触れるだろうから、僕の体験談を言いに来た」
「なんだって?」
「あれは三年前、小学五年生だった時のこと。背を伸ばしたくて給食の牛乳を毎日飲んでいたボクは、自分が乳糖不耐症であるということに気づいていなかった」
「……乳糖不耐症って、なに」
「乳製品なんかが体に合わなくて、飲むと下痢したり体調を崩す体質のことだよ」
「ふーん」
「いつも通り牛乳を飲んだあの日。昼休憩の後は、今日ボクたちが受けたような体育のマット運動が待っていた。しかしボクは給食当番にウサギの餌やり、タナカとエンドウの宿題を五百円で請け負っていたために──」
「話が長いよ。もっと簡潔に話して」
「あぁ、ごめん。とにかくボクは、五時間目の授業中にうんこを漏らしたんだ」
「え……」
「うんこ漏らし男爵と呼ばれていたボクのことを知るものは、今の中学校に誰もいない。校区を変えて、君にしか話していないことだからね」
「それで、ツトムくんはなんで、その話を僕にしたの」
「おならなんて、うんこに比べたら全然いいじゃないか。ボクは誰よりも、ずっと、恥ずかしいことをしてしまった。それでもこうして、平気で学校に通えているんだ」
「いやいや、ツトムくんは誰もうんこ漏らし男爵を知らない学校に移ってるからいいじゃないか。僕は引っ越すわけにはいかないんだぞ」
「もし君が学校にいづらくなっても、ボクが絶対に君のそばを離れないから安心してほしい。それじゃあ、また明日!」
そう言って、ツトムくんは話すだけ話して帰っていった。
……なんなんだ、あいつ。
僕はとりあえず、母親が帰ってくるまで自室に戻って寝ることにした。
──数日後。
どこから噂が漏れたのか知らないが、ケントの学校に汚物二大巨頭が誕生した。
最初の一人はうんこ漏らし男爵。間もなくして、もう一人は放屁大魔神だ。
単純な話、ケントがツトムの話を周囲に言いふらし、対抗するようにツトムもケントの話に尾びれを付けて言いふらしたからだ。
結果、二人は周囲から遠巻きに見守られるヤバい奴認定されてしまったわけだが。
……意外と、この状況を嫌いになれない自分がいる。
元々友達とかいなかったし。ツトムとは殴り合いの喧嘩をしたけれど、同じ黒歴史持ちということで気が合った。
実質、初めての友達ができたのだ。
ツトムの話を言いふらせば、自分のおならなんて笑い話になると思った。しかしまさか、こんな結末が訪れようとは。
「よお、放屁大魔神!」
少しだけ背の低い癖っ毛のツトムが。
そう、僕より少しだけ背の低いツトムが、僕の肩をポンと叩く。
「おはよう、うんこ漏らし男爵」
家の前で待ち合わせた僕らは、またいつものように学校へ登校するのだった。
4/9/2023, 12:31:44 PM