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怖がり

自分は人が怖い。
いじめにあったり、笑われたり、虐待されたり、性虐待にあったり。とにかく人は自分にとって、全員が加害者だった。
それは大げさに周りの人間がそう見えていただけなのだろうか?
自分にとって怖くない相手など一人もいない。それは今もそうだ。人がいる限りこの世界は安全ではなく、凶器で満ちている。
すれ違うだけの人だって、怒ったり、文句をいったり、睨んだり、人に危害を加えるじゃないか。
人とは、そういうものなのだと、小さい頃から学んできた。
子どもであろうと、大人であろうと。悪意の塊なのだ、と。
でも、そんな人たちだって、自分は正義のつもりなんだ。大切な人に対しては、あふれんばかりに優しいんだ。
聖書にも書いてあるじゃないか。
「自分のことを愛してくれる者を愛したからと言って、なんということがあろうか。悪しき者ですらそれをするのだ」
ああ、なんてその通りなのだろう。
みんなが悪意の塊。
みんなが悪しき者。
そう見えるこの世界で愛があるなら、その悪の中に混じっているんだ…。
人を怖がり、生きることを怖がりながら、愛をつかもうとするなら、悪の中に手を差し入れなければならないんだ。その中から、見つけ出さなければならないんだ。
なんて恐ろしいことかと思う。
人が怖い。
生きるのが怖い。
もう傷つきたくない。

…傷つかなくてすむなら、愛なんていらないや…。

諦めたい。
人を。
生きることを。
愛を。
諦めたい。

こんな怖がりな自分に、愛を見つける資格なんてあるのだろうか?

3/16/2023, 2:15:16 PM