たちもり

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「タイムマシーンが完成した!」
 高らかな宣言だった。大きな機械を背にした博士が、両腕を大きく広げて掲げている。自信に満ちた笑顔は異様に幼い。たなびく白衣が海原を征く鳥のように広がり、バサバサと音を立てた。その様がなんだかとても仰々しかったので、取り敢えずぱちぱちと拍手をする。ついでに気のないおめでとうございますを渡せば、それでも目の前の人は満足そうに鼻から息を漏らした。単純。
 ピアニッシモかつリタルダンドな拍手がそろそろ終止符を打つ。そんな時、感動を噛み締めるように閉じられていた瞳が勢い良く開いた。そして、その射貫くような視線に、助手くん、と呼ばれる。何ですか、と言う頃には拍手は息を引き取っていた。
「君、乗ってくれないか」
 至極真剣な声音で打診された。この人馬鹿なのかもしれない、と瞬時に思った。あまりにも真摯な瞳にため息が出そうになる。しかしそれは失礼なので、自分で乗らないのですか、という疑問に変えた。すると、乗らない、と即答される。間髪入れずに、何故、と問う。乗りたくないからだ、とその人は答える。その理由を聞いているのですが、とは言わなかった。代わりに沈黙を提供すれば、博士は高々と掲げていた鼻を萎れさせていった。ついでに視線が下ったので、博士のつむじがよく見える。
 そして、ぽつり。
「そんなことをしたら、この私の長年はどうなるのだ」
 愚か。馬鹿を超えて愚かだった。先程と比べると一回り二回り小さくなっていそうな存在を見る。幼子のようにあからさまに落ち込む全身を見る。やっぱり愚か、いやマヌケ。そしてその真意の想像がつく自分もなかなかの阿呆。
 博士は過去には行けない。行ったが最後、タイムマシーンを世に広め、現在の長年の功績は泡と消える。今の自分は無価値になる。
 博士は未来には行けない。行ったが最後、自身の発想の底を知り、これからの長年の楽しみが奪われる。今の人生が無味乾燥なものになる。
 故に、博士はタイムマシーンに乗れない。せっかく築き上げたそれを体感できない。だから助手の私の出番というわけだ。
 であるならば、私の返答は。
「乗りません」
 きっぱりと告げた。何故、と博士が愕然とする。断られるなどと微塵も思っていなかった顔だ。寧ろそれが何故、である。
「私には、過去も未来も行く利がありません」
 ともかく聞かれたからには回答する。淡々と理由を述べれば、博士は絶句した。どういう感情だろう。いや、というか、博士にどういう人物だと思われていたのだろう。たしかに私は荒唐無稽で幼稚で純粋で夢見がちな博士の助手ではあるが、安全性も信頼性も不明瞭なものに諸手を上げて喜ぶ人間ではない。それに、博士が何を勘違いしていたか知らないが、私はタイムマシーンなどに興味はない。先回りの人生も、一足飛びの人生も、どちらも全然微塵もまるで興味がない。たとえ博士が助手への信頼故にした提案だとしても、クソくらえだと思う程度にはどうでもいい。
 だがまぁ、どうしても行って欲しいと言うのならば。
「貴方が行くのなら付き合いましょう」
「話を聞いていたかい、助手くん」
 告げた妥協案は捨てられた。肩を落とした博士が、なんて助手だと頭を振る。そんなことを言われても、雇ったのは博士である。恨むなら自分を恨むべきだ。
 それにしたって、なんて馬鹿馬鹿しい。大それたものを発明したのに、使用者がいない。これ程マヌケなこともない。けれど仕方がないだろう。だって自分は、貴方の隣に立つ時間があるだけで十分だ。
 だから、過去の優位性も未来の栄誉も役不足。我々には、ここに縛られる人生こそがお似合いだろう。



【タイムマシーン】

1/22/2024, 12:43:47 PM