sairo

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そっと風が吹き抜けた。
顔を上げて空を睨む。落ち葉を舞い上げ去って行く風を、ただ目で追いかけた。

「馬鹿」

そっと呟く声は、誰にも届くことはない。
祈りも希望も、風はすり抜け掻き消していく。
軽く頭を振って視線を戻し、歩き出す。
吹き抜ける風に、もう足は止めない。前だけを見据え、進んでいく。
頬を冷たい何かが伝い落ちるのは、気のせいなんだと言い聞かせた。



「ねぇ……」

声が聞こえた気がした。知っているような、懐かしさを感じるような声。
気のせいに違いない。声など聞こえない。況してやそれが懐かしいなど在るはずがない。
自分自身に言い聞かせながら、足を速める。立ち止まり振り返ってしまえば、二度と前を向けない。それが怖くて、吹き抜ける風に気づかない振りを続けた。

「ねぇ……」

着いてくる声に、唇を噛みしめる。どれだけ歩いても離れず、半ば駆け出す勢いで進んでいく。

「何も聞こえない。全部気のせい」

前を見据えたまま、言葉にする。そうすればきっと諦める。半ば意地になりながら、それでも足は止めなかった。
さらに足を速めようとした瞬間。正面から強く風が吹き抜けた。
目を開けていられない程の勢いのある風。思わず足を止めて、風が過ぎていくのを待った。しかし風が止む気配は見られない。押し戻されそうな感覚に顔を顰め、一歩足を踏み出した。
ゆっくりと、けれども確実に前へと進んでいく。進んでいると思っているが、本当に進んでいるのかは確認のしようがない。ただでさえ勢いの強い向かい風。それに風が巻き上げた落ち葉がさらに視界を覆い、足下すらはっきり見ることができない。
それでも足を止めないのは、やはり意地になっているのだろう。
また一歩、足を進める。もう一歩と足を上げれば、その瞬間、ぴたりと風が止まった。
突然のことに崩れた体制を、慌てて立て直す。倒れずに済んだことに安堵の息を吐くが、次の瞬間には追い風が背を押した。

「うわっ!?」

バランスを崩し、膝をついた。柔らかな落ち葉の地面に痛みはなかったが、手をついた瞬間に舞った落ち葉が視界を赤で覆った。

「ねぇ……」

声が聞こえた。すぐ近く、目の前で聞こえた声に肩を震わせる。
もう気づかない振りはできない。じわりと視界が滲むのを感じながら、舞う葉が落ちるのを静かに待った。

「いい加減、認めてよね。臆病なのか、それとも単に意地を張っているだけなのかは知らないけどさ」

腰に手を当て怒りながらも笑う親友が、こちらを見下ろしていた。



「ほら、いつまでも座ってないで」

手を差し伸べられて、思わずその手を取った。ぐいと引かれ、立ち上がる。

「泣き虫。ほら、しゃんとしなよ」

涙を拭うその手の変わらない優しさに、懐かしさと恥ずかしさが込み上げ、視線を逸らした。

「馬鹿」

小さく呟けば、返事の代わりに強く背を叩かれる。

「っ、痛いんだけど」
「痛くしたからね。馬鹿とはなんだ、馬鹿とは」

逸らした視線を戻して睨み付ければ、親友はそれを鼻で笑う。
何一つ変わらないやりとり。変わらない親友の態度に、口元が緩む。

「まったく……いつまで経っても子供なんだから。強がってる振りしながら、うじうじしないでよ」
「うじうじなんて、してないし」

咄嗟に否定するも、その言葉こそ強がりでしかないと自分でも分かっている。それでも素直になれないのは、目の前の親友が何も変わらないからだろう。
強くて、優しくて、そして誰よりも真っ直ぐだった親友。立ち止まらないその背を追いかけられなくなったのは、いつからだっただろうか。

「――何で、来たの?」

俯きながら呟く言葉に、親友は呆れたように息を吐く。両手で頭を撫でられ、頬を包まれ目を合わせられた。

「来ちゃいけなかった?気軽に会えなくはなったけど、完全に会えない訳じゃないって教えにきたんだけど」

そのまま頬を軽く引っ張られ笑われて、恥ずかしさに膨れながらその手を払う。
一呼吸遅れて親友の言葉に引っかかりを感じ、眉を寄せて視線を向けた。

「会えない訳じゃないって……?」

言葉の意味が理解できない。
親友は、境界を越えて彼方側に行ってしまった。一度も振り返らず、真っ直ぐに進むその背が今も記憶に焼き付いている。何度も夢に見ては一人泣いて、朝を迎えたというのに。
じわりと涙が浮かぶ。嗚咽を噛み殺し只管に睨み付けていれば、親友の目が優しくなった。

「普段は見えないだけで、ちゃんといるってこと。気づいていたくせに、気づかない振りなんてしないでよね」

笑う親友の回りを、風がそっと吹き抜けていく。服の裾を揺らし、髪を撫でていく。

「風……」

気まぐれでそれでいて真っ直ぐな風は、確かに親友とよく似ているような気がした

「大丈夫。あんたは一人じゃない。なんてったって、このあたしがいるんだから、顔を上げて歩きなさい」
「本当に?」
「本当に……親友様を信じなさいって」

背を叩かれ、抱き締められる。その温もりも何も変わらず、怖ず怖ずと手を伸ばし抱き返した。
静かに目を閉じる。流れた滴は風に拭われ、消えていく。

「落ち着いたなら、もう行きなさいよ。ちゃんと見てるから」

最後に頭を撫でられ、体を離した。三歩、後ろに下がり、不格好に笑顔を作って見せる。

「行ってらっしゃい」
「行ってきます」

手を振られ、見送られながら、親友に背を向け歩き出す。
あの時とは正反対だ。ふと気づいて、口元が緩んだ。
振り返らない。親友がそうだったように、今度は自分も。
吹き抜ける風が、落ち葉を舞い上げ視界を覆う。
足は止めない。前だけを見据え、進んでいく。

祈りも希望も、風が包み込んでくれるのだから。



20251119 『吹き抜ける風』

11/21/2025, 4:14:54 AM