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コーヒーが冷めないうちに


「あなたの淹れるコーヒーって、本当に美味しい」

凝った淹れ方でもないし、高い豆や道具を使っているわけでもないのに、妻は私の淹れたコーヒーをいつも美味しそうに飲んでくれた。
音を立てて啜ったあと、満足気な笑顔で決まって同じことを言う。

「ああ、人に淹れてもらうコーヒーって、どうしてこんなに美味しいんだろ」

そして、必ずこう続くのだ。
「人に淹れてもらうからだよね、ありがたいわあ」

「じゃあたまには、君が淹れてくれてもいいんじゃないか?」
そう言うと、妻はまた笑いながら答えた。
「私は美味しいコーヒーを飲みたいの」

妻はコーヒーじゃなくても、緑茶でもほうじ茶でも紅茶でも、同じことを言ったものだ──彼女が亡くなって、もう三年が経つ。
今の私には、コーヒーやお茶を淹れる相手もいないし、私に淹れてくれる人もいない。だけど今日も一人じっくり、ゆっくりとコーヒーを落とす。どんなに高い豆を使っても、どんなに丁寧に落としても、妻と一緒に飲むコーヒーでなければ味気ないというのに。妻の笑顔を思い浮かべると、自然と思いが言葉となってこぼれ落ちてきた。

コーヒーの
香りは立てど
味気なし

おっ……五七五。これは下の句を作ったら、一首完成できるのでは。
思わず指で文字数を数えていると、どこからか妻の笑い声が聞こえたような気がした。

「コーヒー、冷めちゃうよ」

はっと振り返ってみても、そこにあるのは、一つだけのカップ。もう湯気もない。
……私はまだ温もりの残るコーヒーを口にしながら、歌を完成させた。

濃い目が好きな
君よ何処に

9/27/2025, 5:10:19 AM