いろ

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【たとえ間違いだったとしても】

 大雨が降りしきっている。夕暮れ時の薄暗い景色の中を、衛兵たちの掲げるトーチの橙色の光が忙しなく横切っていた。
 狭い洞穴の中に君と二人で身を寄せ合い、必死に息を殺す。ドクンドクンと煩い心音は、僕のものなのか君のものなのか。それすらももはや分からなかった。
 やがて、トーチの灯火が遠ざかっていく。どうやら離れていったらしい。ホッと息を吐いた君が、それでも警戒心を残したまま洞穴から身を乗り出した。打ちつける雨が、君の全身をしとどに濡らす。
「大丈夫そうだよ。早く国境を越えよう」
 君は軽やかに僕へと手を差し出す。けれど僕は、動けなかった。
 手入れの行き届いた庭園で薔薇の花を愛でながら、シンプルだけど良い生地で仕立てられたドレスを纏い、穏やかにティーカップを傾ける君の微笑みを思い出す。……髪も服もびしゃびしゃにして、腕に擦り傷をつくり、泥に汚れたこんな姿、君には似合わない。君はもっと、幸福でいられた人のはずなのに。
「……何で、僕を助けたの」
 両親をこの手で殺した。衛兵たちに追われるだけの罪を、僕は確かに犯した。炎に包まれた僕の屋敷で、タイミング悪くマドレーヌを届けに訪れた君も、それは目にしている。それなのに、どうして。
「助けてほしく、なかったの?」
「当たり前だろっ……! 僕は別に、死罪で良かったのに!」
 全身で叫んだ声が、雨音にかき消される。そうだ、それで良かった。両親の統治のせいで酷い目に遭っていた領民たちは、これで救われる。僕が黙って死ねば、両親の所業は公にはならず、弟は問題なく家を継げる。これで全て上手くいくはず、だったのに。
 なのに君が僕を、助けてしまった。衛兵たちに剣を向けてまで、僕を連れて逃げてしまった。もう、僕は捕まるわけにはいかない。捕まれば幇助罪を問われて、君までギロチンで首を落とされてしまう。
 君は真っ直ぐに、僕を見つめていた。アイスブルーの瞳に、ちっぽけな僕の姿が反射している。肩を震わせるばかりの僕の手を強引に引いて、君は僕を雨空の下へと連れ出した。

「貴方が嫌だって言っても。たとえこの選択が、間違いだったとしても。それでも私は何度でも、貴方を助けるよ」
 
 力強く誇り高い声だった。雨が体温を奪っていく。ああ、早く行かなければ。国境を越えて、安全な場所に辿り着かなければ。一ヶ所に留まるのが危険な以上、この国では雨宿りすら満足にできやしない。こんな環境、僕はともかく君の身体には害でしかないのだから。
 羽織っていたボロボロの外套を、君の頭に被せた。こんなのでも、ないよりはマシなはずだ。
「ありがとう」
 外套をそっと手で抑えてはにかんだ君の笑顔を、消させるわけには絶対にいかない。僕なんかどうなったって良いから、君のことだけは守ってみせる。だって君を巻き込んでしまったのは、全部僕の責任なんだから。

 君と二人、手を取り合って。僕らは音を立てて降る豪雨の中を、国境へと向けて再び歩き始めた。

4/23/2023, 12:55:40 AM