「さあ行こう」
時計は9時を回ろうかというところ。
俺はリビングの鏡で最終チェックを済ました。
リネンの白シャツに紺のスラックス。シンプルながらもインスタで見たオシャレ男子の特徴を押さえたコーディネート。彼女の好みにもバッチリ合うだろう。
隣の部屋にいる彼女に声をかけた。
「準備できたよー」
「はーい。ちょっと待って」
同棲して初めてのデートだ。
出発前のこのやりとりですら少しくすぐったい。
いくらでも待ちますよ、と俺はソファに座った。
女性に外出前の準備を急かすのは御法度やで。姉から聞いた鉄則だ。関西に嫁いだ姉は、すっかり関西弁に染まっていた。
女性は男性よりも準備に時間がかかるもんや。余裕のある男は女性を待つもんや、と説教くさく言われたものだ。
「ねえ、これどう?」
顔を上げると、彼女はベージュのふんわりとしたワンピースを着て戸口に立っていた。
「いいんじゃない?」
「本当に?汚れそうじゃない?」
確かに今日のデート先は遊園地だ。水系のアトラクションや食べ歩きなどしていたら汚れてしまうかもしれない。
「そうだね。じゃあ色の濃いものにしたら?」
「うん!そうする!」
そう言って部屋に引っ込んだ。
服なら昨日のうちに決められたんじゃないかというツッコミが沸き起こるが、脳内の姉が絶対に言うたあかんでと釘を刺した。
「ねえ、これ手伝って」
次に彼女は背中をこちらに向けて戸口に姿を現した。
紺色のピタッとしたワンピースで背中のチャックが上げられないようだ。
すでに9時5分。おそらくメイクは終わっていない。
俺は少し急いでチャックを上げた。
「痛っ!」
どうやら髪の毛を挟んでしまったようだ。
「ご、ごめん!」
慌てて謝るが少し機嫌を損ねてしまった。
彼女は少し睨むと部屋に引っ込んだ。
いや、少し急げよ、と不満が沸き起こるが、まあまあ落ちきなはれと脳内の姉に宥められた。
次に彼女が姿を現したのはメイクが終わった後だ。
「ねえねえ!どう?良い感じ?」
いつもの可愛い顔が少し大人っぽくなって美しい。
「いいね!」
メイクのことはよく分からないけど、なんかいい感じなのは分かる。
よしもうそろそろ出発できるだろう。
「行こっか!」
彼女が元気よく玄関の扉を開ける。
アパートの階段を降りて、道路に出ると彼女が「あ!」と大きな声を出した。
「どうしたの?」
「ペアリング付けてくるの忘れた!取ってくる!」
さすがに戻っていたら電車の時間に間に合わない。
しかしそんなものいらないと言えば、彼女の機嫌を今度こそ損ねてしまうかもしれない。
脳内の姉に相談する。
彼女のコーデは白と紺のワンピース。閃いた。
「ペアリングなんかいらないよ」
「…は?なんでそんなこと言うの?」
彼女がムスッとした表情で詰め寄る。
「だって今日のコーデがペアリングじゃん?」
彼女は僕と自分の服を交互に見て、口角を上げた。
「ほんとじゃん!さすがうちの彼氏!」
「さあ行こう!」
なんとか危機は免れたようだ。
6/7/2025, 10:28:23 AM