「『無形』文化財、『無形』資産、『無形』商材、それから仏教用語の『無形(むぎょう)』。
……意外と『形』が『無い』って多いのな」
ぶっちゃけ「目に見えないもの」も「無形」と定義するなら空気も無形だし、液体は確実に形無いし。
まぁ、まぁ。自由度はそこそこ高いわな。
某所在住物書きは、「無形」の検索結果を辿りながら、どれが書きやすいだろうと首を傾けた。
「仏教用語ネタは4月頃、『無色の世界』ってお題を『ムシキの世界』って読んで一回使ったわ」
二番煎じが無難だろうか。「形を持たぬ」と「形が定まらぬ」は異口同音であろうか。
物書きは云々悩み、今日もネタ探しを開始した。
――――――
最近最近の都内某所、某アパートの一室。
近々最高30℃台が再来する予報ながら、ようやく最低気温の予測に20℃以下が登場し始めた頃。
寒い。
と感じて覚醒した部屋の主、藤森は、ベッドから薄手の毛布が1枚、落ちていることに気が付いた。
今藤森を包んでいるのは、やや厚手のタオルケットだけ。枕元のスマホ、天気予報ウィジェットは珍しく外気温18℃を示している。
窓を開けているので、ほぼ同温の周囲であろう。
20℃未満の数字は、彼に秋の到来を予告していた。
真冬の8℃や10℃、それどころか最高零下でさえ、どうということもないのに、
この時期、暖から寒へ変わろうとしている転換期の冷涼、15℃だの16℃だのは、幼少時を雪国で育った藤森とて、苦手としているところである。
ましてや朝のタオルケットの中とあっては。
(朝飯、どうしよう)
毛布床に落ちているとはいえ、タオルケットの中はそこそこ快適な温度を、すなわち涼しさと温かさの中間を保持していた。
おお、形の無いものよ、日中の残暑と朝夕の冷涼との寒暖差よ。すなわち四捨五入10℃の開きよ。
汝の名は数値であり、季節の境目であり、
つまり暑さに慣れてきた体への無慈悲である。
(……さむい)
外に出たって寒々しいだけだよ、中にいなよ。
文字通り「涼しげな」ささやきで誘惑する室温は、藤森を二度寝のまどろみに押しやる。
通勤のために部屋を出る必要のある時刻までは、まだ間がある。こんな寒いさむい時間帯から活動せずとも良いじゃないかと。
(どうせこれから、日中は暖かくなる。
シリアルで十分か?それとも、久しぶりにこの室温だし、温かい茶を淹れて、茶漬けでも?)
タパパトポポトポポ。
ティーポットから、茶香と湯気たつ不定形の、確固たる形持たぬ、80℃90℃程度の平和が、
低糖質にして炊飯の手間無きオートミールで代用されたカップと、海苔茶漬けの素の上に注がれる想像。
きっと至福であろう。
それを食うためであれば、眠気に抵抗し、微妙な寒さを跳ね除けて、タオルケットの外へ出てゆくのも、やぶさかでない。
「……」
勇気を出して、タオルケットから右手を、肩を出す。
頭上の枕をつかみ、僅かに外へ体を出してみる。
「さむい」
しつしつしつ、と下りてきた19℃が、適温の安全地帯から逸脱した手を、腕を、何より背中を包んだ。
藤森はそれに抵抗することなく、もそもそ、ぬくもりの中へ退却した。 無条件降伏であった。
(なぜこの時期の20℃未満はこんなに寒いんだ)
そういえばエアコンのスイッチはどこだったか。
藤森はベッドの上から周囲を見渡した。
眠気酷い目に映るのは、綺麗に整えられた室内。
目標物はテーブルの上で無造作に鎮座している。
テーブルまでは少々距離があり、
それはつまり、室内を温めたいなら一度寒い思いをしなければならぬという世の不条理を示していた。
不条理に異を唱えるか、
寒気に身を晒すか、
タオルケットの温かさに服従するか。
「……」
悶々5分ほど毛布の中で悩んで、
最終的に、藤森はそのまま意識を手放してしまった。
その日の無形・不定形の平和は、結局80℃90℃の温かいほうじ茶ではなく、5℃から10℃程度の柚子入り冷茶になったとさ。
9/25/2024, 3:20:00 AM