阿呆鳥

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【風鈴の音】

 とある猛暑。
 小学生は、どんなに暑くても外で遊び回りたいらしい。弟妹たちは友達に誘われて、つい先程に家を出たところだ。かく言う私には、遊びに誘ってくれるような友達はおらず、家で気ままにひとり遊びが吉となった。
 今日は親も出かけていて、家には自分一人である。熱気が充満する部屋をなんとかしたくて、エアコンと扇風機を付け、電気を消費する。

「ぁー……」

 首を振る扇風機を追いかけ、正面から叫ぶと、音が震える。扇風機を使うにあたって、一度はコレをやらないと気が済まない。

 ──チリン。
 なにか、ガラスがぶつかり合う音がして顔を上げる。いつのまに取り付けたのか、ベランダの方に見覚えのない風鈴があった。透明なガラスには金魚が泳ぎ、垂れた雫が揺れると涼しい音が奏でられる。

 ──チリン、チリン。
 風鈴を見上げるように、仰向けで転がる。フローリングの床はひんやりと冷たく、大の字になる。暑い空気とひんやりとした床が絶妙に心地よく、自然と目を瞑ってしまう。

 ──チリン、チリン、チリン、チリン。
 風鈴の音が重なって聞こえた。先程までとは違い、冷たい床の感触がない。空気も涼しい。目を開けると、視界いっぱいに青空と白い雲が映る。
 何処だ、ここは。勢いよく起き上がると、ここが草原だと言うのがわかった。どこまでも続いていくような草原の緑と、空の綺麗な水色が地平線で交わっていた。

「あ、起きたねぇ」

 声がした方を向けば、高校生ぐらいの男性があぐらで座っていた。オーバーサイズのフード付き半袖を着こなし、少し長い髪の毛を後ろでくくった、不思議な雰囲気の人だ。

「うーん! よし、じゃあ行こうか」

 まだ状況が飲み込めていない私なんてお構いなく、髪を風になびかせながら歩き始めてしまう。立ち上がることも出来ずに目線だけ追いかけてみれば、ちょうど私の背後の方面に街が見えた。

「なにしてんの? 置いてくよ?」
「……」

 知らない人についていけるわけが無い。誰かと勘違いしているのだろうか。私が警戒した目を向けていると、なにかに気づいたように走りよってきた。

「なるほどね。わかった、自己紹介するよ。俺はスズ。17。ほら、君は?」
「……」
「まだ警戒心解けない? んー……」

 スズは何かを考えるように頭を抱えると、いきなり私の前髪をかきあげた。驚いて固まっていると、スズは顔を近づけてきた。目の前に彼の首元が来ると、私のおでこには柔らかい感触がした。

「……どう?」
「……は?」

 反射的に彼に平手打ちをする。なんだなんだ、いきなりなにをしてくるんだ。怒りと困惑が混じるが、何を考えても無駄な気がして思考をやめた。

「なんでそんなことすんのぉ! ひどいよぉ!」

 涙目になって騒ぐこの男は、どうやら知り合いらしい。どうやってきたか分からないこの場所に知り合いなどいるはずがないのに、こんなに距離の近い男の知り合いなどいないはずなのに。どこか懐かしいと感じるのは気のせいだろうか。
 懐かしさを感じた途端に、急にスズが愛おしく思えてきた。手が勝手に動き彼の頭を撫でると、笑顔になって私の腕を引っ張る。

「嬉しい……。ねぇ、早く行こ?」

 引っ張られるがままについて行けば、街についた。そこは至る所に風鈴が揺れていて、商店街は特に風鈴の音がやかましかった。

「今日はお祭りなんだよ。伝統の風鈴祭、覚えてるでしょ?」

 首を横に振ると、スズは悲しそうな顔をして「そっか」と呟いた。しかし、すぐに気を取り直して色々な場所を案内してくれた。
 いちご飴を食べたり、かき氷を食べた。全て奢ってもらって、最後には風鈴を買ってくれた。

「君には水色が良く似合う」

 そう言って、桜が舞う淡い水色の風鈴をくれた。夏に桜は季節外れではないかと問えば、「綺麗だからいいでしょ」だなんて返される。
 そんなこんなで多くの場所を回っていると、いつの間にか辺りは暗く、提灯が灯り始めていた。

「花火が始まっちゃう! 早くいこ!」

 よろけながらもスズの後を追いかける。そして、最初の草原に戻ってきた。お互いに寝転がって空を見上げると、ちょうど花火が始まった。大きすぎる音に、地面が揺れているように感じる。

 ──ドーン。
 赤、黄、青、などの様々な色が空を彩る。

 ──ドーン。
 小さい、カラフルな花が咲き乱れる。

 ──ドーン。
 大きな花が空を覆う。

 ──ドーン。
 風鈴の形をした火花が、空に描かれた。

 あっという間に終わってしまった花火。名残惜しく、私たちは動かずにじっと空を見上げていた。先に動き、声を出したのはスズだった。

「風鈴、離さないでね。来年もまた一緒に花火を見ようね。約束だよ」

 彼の手のひらによって視界を塞がれる。気づいたら草の感触がなくなっていて、代わりに冷たいフローリングがある。
 どのくらいか、眠っていたらしい。

「……なんだ、これ」

 手のひらには、季節外れの桜の花びらがあった。あれ、先程まで、本当に寝ていたんだっけ。なにかしていた気がするのに、思い出せない。

 ──チリン。
 この家のどこにも風鈴がないはずなのに、ガラスの音がした。

7/12/2025, 3:04:41 PM