ふわふわと風にゆれる穂が秋を告げていた。
良い思い出はいつもススキと共にあったように思う。
田舎暮らしは存外良いものだ。
テレビに映る高いビルやたくさんの店なんかはないけれど、文字通り自然だけが取り巻いている環境も悪くはない。あるがままの全てを受け入れるというのもまた人間の一つの当たり前の姿なのだ。そんな田舎暮らしも、のんびりと時間がすぎているわけではなく、案外常に忙しい。
特に、秋は。食欲の秋と言われるように、それらを作るものたちは一年で一番忙しい時期なのだ。
わたしはそんな忙しい秋が好きだ。農家は汚くて古臭くて良い印象を持たれないが、きっとあなたも農家に生まれていたら汚いからと簡単に捨て去るのは難しいだろう。生まれ育った場所を売り払うのは勇気がいる。捨てる勇気がなかったから、わたしは今もひとりで続けている。少しずつ、少しずつ思い出の場所を削りながら。
失ってゆくのが怖いだけだ。
冬は枝を切る。大きな鋏も今は手に馴染む。
春は田に水を引き、種を植える。横を見れば隣で一年越しの日焼けをした祖父が笑っている。
夏は野菜を収穫し、強い日差しの中林檎に袋をかけたり、庭の見事な花たちの世話をする。雑草抜きはキリがないけれど、祖母と話していれば一瞬だった。
秋は米や林檎の収穫だ。最近そんなに高くは売れないけれど、愛を込めた果実が誰かの笑顔になれば良い。
秋は、忙しくて悲しみさえ吹き飛ばす。
冬まで一瞬だ。
脱穀や林檎の選定に疲れて、汚れた服のまま外に出る。
秋は月がよく見えて、ススキが冷たい風に揺れる。
耳を澄ますと虫や鳥や木々の囁く音が聞こえる。
大きく息を吸えば爽やかな林檎と木箱の香り、米から落ちたもみ殻の癖になる匂いが胸いっぱいに広がる。
月が綺麗で、ススキが揺れて、匂いがして。
そうすれば記憶の中の祖父母は頑張ってるなと笑う。
秋がすきだ。
愛されなかったわたしを愛してくれた人が好きだから。
世界でいちばんの幸せをくれた。
もの言わない植物たちに、思い出が水となって実りを与えてゆく。そしてそれらに触れたとき、また私の中に思い出が巡るのだ。
ほんとうは、こんな風にずっと過去に縋っていてはいけないんだろうけど、何もかも捨てられないでいる。もう農業をやるには厳しい世の中だ。知り合いの年老いた農家は皆、木を切って畑を焼いて売り払ってしまった。一回り上の世代でさえ継ぐ人間はいなくなってしまっている。それでも手放したく無いと思う。だって秋がこんなにも美しい。
忙しくて目が回っている間は辛くなんてないんじゃないかと思っていられる。何にも返せなかった、何にも持っていないわたしが作った物が誰かの喜びになれば救われるような気がする。ただの死までの時間稼ぎのような毎日だ。
月が綺麗で、ススキが揺れて、匂いがして。
私の秋は今年も、密やかに愛を告げている。
手を振っているのか、会いに来たのか枯れ尾花
愛しい人たちが作り上げた美しいものたちが失われていくのを必死に繋ぎ止めて生きています。他の人から見ればぐちゃぐちゃで統一性のない庭園も、虫や獣や泥ばかりの畑たちも、古臭い機械や家も。ぜんぶ私にとっては輝く宝物なのです。今は兼業してどうにか回していますが、きっと私ひとりきりでは歳をとって、いつかは駄目になってしまうでしょう。それまでには思い出を切り捨てる決心がついていれば良いなと思います。規模の大きな遺品整理をし続けているのです。秋くらいは人手が欲しいのでススキになって手伝いに来てくれないかな。会いたいな。
骨は語らない。石や木に書かれた文字は癒してはくれない。けれど、枝の切った跡や植えた植物たちは色濃く彼らの生きた証を示し続けてくれる。ここで生きていた事を。
ススキ
11/10/2024, 12:27:50 PM