「知ってるか?マンリョウってのは日陰でも育つらしい」
喫煙所でスマホをいじりながら、先輩が言った。
「いや、世の中ってのは、意外に上手いこと言うよなあ」
そう言いながら彼の手は、紙タバコに火をつける。
白いタバコの先から、灰色の煙が立ち上る。
「そうですね」
とりあえずの相槌をうちながら、電気タバコを口に咥える。
喫煙所、喫煙場所の減少と制限、それから年々の価格の高騰で、紙タバコはすっかり貴族の娯楽と化している。
タバコ休憩に出て、紙タバコを喫煙所でゆっくり吸うなんて、今のご時世では、金と暮らしに余裕のある者しかできない。
「いや、ヤベー世の中だよなあ。日陰で自分を痛めつけんのさえ、金がいる時代だぜ?日向の奴らは、何を楽しくて生きてんだろぉな」
電子タバコのこちらを気遣ってか、彼はゆっくり煙と共にそんな言葉を吐き出した。
「まあ、日向にはいろいろあるみたいですよ、娯楽は」
こちらの世界に落ち着いてからもう久しいので、詳しい事は言えない。
だから、私も電子タバコの煙と一緒に、軽く返す。
甘い煙の味が口の中に満ちる。
しばらく沈黙が続く。
お互いタバコ休憩のつもりだったのだから、当たり前だ。話すことがなければ、静かにタバコを味わうのみ。
この、粗暴な仕草で紙タバコを味わう仕事の先輩をぼんやり眺めながら、私もゆっくりと煙を吸い込んだ。
彼は、紙タバコを咥えつつ目を落とし、スマホをしきりにいじっている。
「…お?なあ、奴等、タバコ飲まねえくせに、タバコの銘柄に関しては詳しいらしいぞ」
そう言って、彼が見せたスマホの画面には、タバコの銘柄とそのイメージや吸っている人の傾向について、好き勝手まとめてある投稿やサイトが映し出されていた。
「呑気なもんだよなあ。今、日向の世界でタバコなんて人前じゃ、まともに吸えねえだろって。何がこの銘柄、推しに似合うだよ。よくわかんねえけど、日向の人間は今じゃ、紙タバコなんて吸わねえだろうよ、なあ」
「そうですね、吸えないでしょうね。健全なタバコ専門店なんてもう一軒も見当たりませんし」
思ったことをそのまま言って、それから、ふと気になったことを口に出してみる。
「ところで、先輩がライトヴェブ見るの珍しいですね。なんかありましたか?」
「別になんもねえ。ダークヴェブ、飽きんだよ。いつものアカウントで見てると仕事連絡うるせえし」
「なるほど……って、仕事の連絡はちゃんと目を通しといてくださいよ」
「ダルい。どうせお前、チェックしてんだろ」
「…チェックしてますけども。宛先確認もありますし、注意事項だってあるんですから、一応、読んでもらわないと」
私が期待と非難の意を込めて言い返す。
私たちの仕事。それは、日陰…すなわち、違法行為の蔓延る裏社会…そこでの清掃員だ。
依頼を受けたら死体や証拠もろとも、ピカピカに清掃するのが、私たちの仕事だ。
どんな血まみれの惨状だって、丁寧にピカピカに磨き上げる。
証拠品や家具の回収なんてオプションだってある。
この稼業はなかなかリスクがあるが、なかなか、かなり儲かる。
日向…一般社会…では、日の目を見られないような、親に捨てられた中卒の先輩が、今こうして紙タバコを吸えているのも、この仕事のおかげであった。
だが、仕事に失敗すれば、命に関わることもある仕事。
だからこそ、事前に依頼を知ることやスケジュールを管理することは大切なはずだが…
しかし、先輩はむしろ得意そうに笑って煙を吐いた。
「だってよぉ。…ほら、今日のこれからの予定は?」
つい、反射で真面目に答えてしまう。
「dirty dogのボスからの依頼説明が、19:00からあります。前金受取を忘れずに…ですね」
しまったと思ったがもう遅い。
先輩はニヤニヤと笑みを浮かべながら、肩をすくめる。
「ほらな。俺がわざわざ記憶しとく必要はない」
ため息が漏れた。
ため息にすら、電子タバコの甘い味と匂いが混ざる。
「さ、じゃあ、行くか。dirty dogに」
タバコの火を灰皿で揉み消しながら、先輩が言う。
もうタバコ休憩は終わりのようだ。
「行きますか」
私も電子タバコをしまい込む。
一瞬でタバコをしまい終えた私を見つめて、先輩はポツリと、ニヤニヤと言う。
「お前さあ、そろそろ紙タバコにしろよ。箔がつくぞ」
「ふふ。…生憎、ずっとこれなので」
私は電子タバコを振ってみせる。
「私が生まれた時代は、まだ日向じゃ、電子タバコの規制が緩かったんです」
先輩がわざとらしく顔を顰めて、おどける。
「やれ、大卒は育ちが宜しくて困るねえ」
「はいはい、クライアント対応はこちらでやるんで、他は頼みますよ」
「へいへい」
二人で歩き出す。
日陰へと、闇へと、私たちの居場所へと。
日陰ではステータスであるニコチンの香りが、ほのかに香った。
1/29/2025, 2:48:45 PM