戒め

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「降り積もる想い」
とある男の手記

12月に入ってからは随分冷え込んで、もうすっかり冬のようです。文章を書いては捏ね回して、何とかこうとか言葉を進めようとするのを、自分のプライドだか何だかが邪魔をします。
私はこうも、文に貪欲だったろうか。こんなにも拘るべきものなんだろうか。書けば書くほどそんなことを考えて、気分がずっしりと重くなります。納得できるものは過去にありません。何度書いても上手くいかない。それを良いものだと感ぜられないのです。これが単に、自分の文である、という認識から来たものならなんら構わないのですが、もしもこれが文章から生まれた自尊心だったとしたら、今まで拘る理由なく続けていたものに、気づいたらふと、意味付けをしてしまっていたら、と考えてしまうのです。
無論、この真偽を確かめる術はありません。私は他人の作品に触れて、素晴らしい。感動した。と、感じることもしばしばあります。自分の表現を嫌うと言いますが、その文章を全て愛せずとも、ワンフレーズだけ、ここだけは上手く書けたろう、と思うこともあります。
気まぐれなこころの変化を感じながら、毎日筆を取ります。納得がいくまで、何回も何回も紙を棄てました。
私は文字書きでもなんでもない、ただの公務員なのです。毎日せっせと働いて、金を稼ぎ、何とか繕った時間で筆を取るのです。私が働く間、小説家は何を思うのだろう。きっと、書き方を学ぶ時間が充分にあって、本をたくさん読み、自分の技術へ費やすのだろうと思います。この印象が苦労なんかを考えようとせず、浅はかであるのは、あくまで、ただの一般的な、親に決められた未来を辿っている私の、単なる妄想だからです。こう比べてしまうと、またそれは私の腹の中が黒いことを示しているようで、自己嫌悪に陥ります。救いが見えませんでした。妄想だろうと、時の使い方の違うのを考えると、どうしようもなく悔しく、胸が濡れ雑巾のように絞られる心地がします。正直に、どうしていいか分からなくなりました。
勤勉に、熱心に働くことが人生の指標だったというのに、つい最近久しぶりに本を読んで、その楽しさを思い出してしまいました。中学生のころ、自分の書いた文章が絶賛されたのを思い出しました。
あれが単なるお世辞だったことは、頭で理解していても、堅苦しい未来を約束されていた私には酷く効きました。君の小説は面白いだの、君は素晴らしい小説家になれるだの、そういう言葉でした。1度思い出してしまってから、どうしようもなく脳みそに焼き付いて、どれだけ掻きむしろうと離れていかないのです。身体中をはいまわって、どうしようもなく支配しに来るのです。
私はとうとう耐えられなくなって、原稿用紙を買いました。筆を取りました。
今に至ります。私は、文章を書くに値しません。その道1本で生きる人に憧れていた。憧れてしまった人は、もはやただの観客なのです。私にはそう感じられました、私がその立場でした。それを脱却することが、どれだけの未来への不安に繋がることか、少し考えただけでも身が震えました。
私は後悔が怖い。未来が絶たれることが恐ろしい。臆病者で、誰に頼るとも出来ない。
それでも心の奥底で、どんよりと沈んだ沼のあとに、私の文字書きを続けたい想いもあったことでしょう。
この苦痛を他人のように私が話すのは、その終わりがまだ来ていないからなのです。
私は臆病者で、諦めが悪く、今日もただひたすらに自分の道を探っています。その生き方しかできません。その生き方が合っています。
ああ、手が悴んできました。もう冬ですね。ペンを持つのが辛くなる時期だ。
あなたは文を書くのが好きですか。
あなたは、どうか、自分の書くものを大切にしてください。
私のように苦悩しないでください。真っ直ぐに生きてください。
私は今日も、自分の苦悩との気まずい時間をやり過ごします。自己との乖離を感じながら、なんとか、なんとか生きて行くのでしょう。枯れて重なる葉っぱのように、降り積もる雪のように、私は自分の自尊心を折り畳みます。
来世は、自由な人でありますように。

12/21/2025, 6:24:44 PM