私の彼氏は、背が高くて優しくて、とても強い自慢の彼氏。男運が無いと思っていたけれど、彼に会うための試練だったと考えれば辛くもない。
秋晴れの空が美しい日だった。
久しぶりに休みが被ったので、カラオケでも行こうかと2人で大通りを歩いていた。お昼ご飯はカラオケで買おうか、いや高いから持ち込みにしよう、そんなことを話している時だった。後方から大声が聞こえた。振り返ると、自動車がこちらに向かってくるのが見える。
幸い、私のいる所とは数メートル離れているので、真っ直ぐ進めば怪我人も出ないだろう。彼以外には。
咄嗟に、彼を逃がさなきゃ、と思った。全体重をかけて、彼を車道に押し出した。こういう時は、あなたの体が憎いわ。私にもっと力があれば、もしかしたら私も一緒に逃げられていたのかも知れない。もしかしたら、なんて話は嫌いだから言わないけど。
運転手と目が合う。どうにかしてくれと、懇願しているような表情だった。ごめんね、私にはこれが精一杯なの。
最期に見るのが彼じゃなくて知らないおじさんなんて、ちょっと失敗したかもね。
でも、嬉しいことに最期ではなかった。もちろん、無傷で生還ってわけにはいかなかったけど。
医師によると、右腕の神経が切れてしまったらしい。自分の意思で動かなくなったそれは、プラプラと思ってもみない所へぶつかるので、扱いに苦労した。切れた神経は二度と治らないと聞いた時、私よりも彼の方がショックを受けていた。
その日から私は、彼の好物のビーフストロガノフを作るどころか、食べる事さえままならなくなってしまった。それでも、なるべく明るく振る舞うようにした。空回りして見えたかも知れないけど、本当に楽しいことだって沢山あった。でも、彼は心から楽しめてはいなかった。
彼が「俺のせい」と言うようなことを口にすれば、即座に否定した。あなたのせいじゃない、私がしたことなの。子供に言い聞かせるように宥めた。
それでも歪な感情は、いつかは露呈してしまう。それまで、私と彼には運命の糸が繋がっているのだと本気で思っていた。けれど、私が隻腕になってから首の皮一枚で繋がっていたそれは、些細な事で決壊する。
彼の帰宅が遅いことで、少し喧嘩をしてしまった翌朝だった。ベッドで目覚めると、彼が私の首を絞めていた。彼は私の瞳が開いていることに気付くと、ぼろぼろと大粒の涙をこぼした。顔に触れる温かい液体は、シーツに落ちる頃にはすっかり冷たくなっている。
聞き取れないほど小声で何か発しているので耳をすませば、「ごめん、おれのせい、でも、おれもつらい」と言っているのが聞こえた。だから、あなたのせいじゃないって何度も言ってるのに。そう言って、涙を拭いたかった。けれど、苦しくて掠れた声しか出ない。
ずっと前から、彼の私を見る目が愛憎へと変わっていることに気付いていた。私の首に回る大きな手にそっと触れて、「いいよ」と笑った。
それを聞くと彼の手がきつく締まって、私の視界が白んでいく。何も見えない中で、彼の「愛してる」だけが耳に入った。
お題『愛言葉』
10/26/2024, 12:27:55 PM