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『失恋』

「え、お前結婚するの?」
 探偵事務所を訪れた俺の古い友人、鐘餅の言葉に驚く。
「まだだよ、今度プロポーズするつもりだ」
「あんだよ、驚かせやがって」
「いや、お前が早とちりなんだよ」
「いや結婚するって言っただろうが」
 学生時代に戻ったように、ばかな話をする。
 久しぶりに直接会ったが、なかなか楽しいものだ。
 

「それで、何の用だ?」
「つれないな、バカ話しに来ただけとは思わないのか?」
「それだったら電話やSNSで事足りるんだよ。 
 直接頼みたいことがあるんだろ?」
「……相変わらず、勘がいいな」
 鐘餅はだらけた顔を引きしめる。

「単刀直入に言う。
 俺がプロポーズするのを見守って欲しい」
「は?」
 なに言ってんだこいつ。

「やだよ、一人でやれ」
「勇気がでないんだ。
 ついて来てくれよ」
「ボランティアじゃないんだよ、こっちは!」
 今月カツカツなんだ。
 鐘餅のヘタレなんぞに付き合っている余裕はない。

「いいじゃないですか、友達なんでしょう」
 助手が、淹れたての紅茶を持ってきてやって来た。
 奥にいろって言ったのに、なんで出てくるんだよ……
 おそらく『プロポーズ』という言葉が聞こえたので、出てきたのだろう。
 このコイバナ大好き人間め。

「先生の大事なご友人ですからね。
 お茶くらいは出しませんとね」
 俺が睨んでいることに気づいて、助手は素敵な営業スマイルを作る。
 今日の助手は、猫かぶりモードらしい。
 そんなにコイバナが聞きたいのかよ。
 男のコイバナなど楽しくなかろうに……

「来なくていいって言っただろ」
 助手に『奥にいろ』といったのは、話に邪魔だったからじゃない。
 俺は、嫌な汗をかきながら鐘餅を見る。

「おい、なんだあの可愛い子」
「助手だよ」
「助手……
 確か、ここの事務所二人でやっているって」
「そうだ」
「くそ、お前ずるいぞ、あんなかわいい子!」
「お前結婚するんだろ
 他の女に現を抜かすな」
「それとこれとは別だ」
 鐘餅が激高する。
 鐘餅は大の女の子好きだ。
 しかも……

「お茶をどうぞ」
「ありがとう、それにしてもいいお尻――ぐぎゃ」
 助手の尻に伸びようとした鐘餅の手は、助手本人の手によってひねり上げられる。

「助手よ、奥に引っ込んでろと言った意味が分かっただろ」
「すいません先生。
 私、軽率でした」
「分かればよろしい。
 次は気を付けるように」
「待って待って、痛いから、謝るから、その手を離して」
「……助手、離してやれ」
 俺は目で合図すると、助手は不承不承手を離す。

 鐘餅は痛みから解放され、息も絶え絶えになる。
 だが、理解したくはないが、興奮しているようにも見える。
 まさか、そういう性癖か?

「結婚するって聞いたから、少しはまともになったと思ったのだが……
 さらにキモくなってないか?」
「言いたくありませんが、きっと結婚詐欺ですよ。
 こんな男性を受け入れる女性はいません」
「君ら、酷いこと言うね」
「「自業自得」」
「ぐふ」
 鐘餅は精神にダメージをおって、床に倒れ込む。
 二度と起き上がらないで欲しい。

「先生、私どうしてもこの人が結婚できるような方には見えません」
「まあ、そうなんだが金はもっていてな
 だが金は持ってるが、それ以外褒めるべきところがない
 本当に……金だけはあるんだが……」
「気前もいいだろ!」
 あ、復活しやがった。

「学生時代、さんざん奢ってやったろ。 
 忘れたのか?」
「その節はお世話になりました」
「そんでもって、今日も気前の良さを見せてやる。
 ほら、依頼料だ」

 机の上に札束が置かれる。
 この厚み、100万は下るまい。

「では依頼を受けさせていただきます」
「サービスで、助手ちゃんの胸を――」

 まあ、鐘餅はくそ野郎だが、当分友達を辞める気はない。
 金払いの良さもあるが、友達やるのは刺激的なのだ。
 今日だって、キン肉バスターを生で見られるとは思わなかったからな。
 
 ◆


「来たぞ」
 バーの入口から鐘餅が入ってくる。
 数日前に喰らったキン肉バスターの影響はなさそうだ。
 ……タフだなアイツ。

 そして一緒にいる女性は、彼女が例のプロポーズ相手だろう。
 聞いてた容姿と一致するので間違いあるまい。
「隣の女性が、噂の彼女さんですね」
 助手が、呑気につまみをぼりぼり食っている。
 こいつ、一応仕事だって分かってるのか?

「そうだろうな……だが」
「はい、その隣で親し気にしている男性、いったい誰なんでしょうか?」
 女性と腕を組んで、歩いてくる男性は一体だれなのか?
 遠目であるが、鐘餅も動揺しているように見える。
 芽生えた不安を誤魔化すため、つまみを食べる。
 食わんとやってられん。

「彼氏ですかね?」
「ベタに弟、とか。
 というか弟であってくれ」
 幸せを祈るほどアイツの事は好きではないが、さすがに不幸を願うほど嫌いなわけではない。
 マジで頼むぞ。

「あ、さっき少し聞こえたんですけど、夫らしいですよ
「アー、キコエナイキコエナイ」
「先生も人の心が残っていたんですね」
「どういう意味だ」
 ほんと、助手は口が悪い。

「まあ、あの金餅さんを受け入れる女性ですからね。
 男性の方がほっときませんよ」
「だよなあ」
 まあ、そんな気がしてたけども。
 だって鐘餅だぜ。
 よほど器か、包容力のある相手じゃないと務まらない。

「うん?
 あの夫婦出ていったな」
「なんか旦那さんがいろいろ察して、何か言ってましたよ」
「普通は察するよなあ……
 うわ、背中に哀愁漂ってる」
 人が失恋する瞬間を初めて見るが、なかなか心に来るものがあるな。

「それでどうします?」
 助手は、自分の方を見て尋ねる。
 『励ますか?』と聞いているのだろう
「はあ、仕方ない。
 男同士で飲むから、帰っていいぞ」
「安心してください。
 黙ってお酒飲むだけですから」
「セクハラされるぞ」
「その時は慰謝料ふんだくってやりますよ」
「やっぱお前帰れ!」

 助手を無理矢理帰らせ、俺は静かに鐘餅の隣に座る。
 お互い何も言わず、酒を飲み交わす。
 言葉などなくても心は通じるのだ。
 俺たちは一言も会話することなく、朝まで飲むのであった

6/4/2024, 1:03:57 PM