小絲さなこ

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「また会えると信じたいから」


「さよならを言うのは、引き留められたいからだろ」
彼はそう言っていた。

「さよならを告げるのは、区切りをつけるためでしょ」
彼女はそう言っていた。


私は、何も言いたくない。言わない。
ひっそりと姿を消して、しばらく経ってから手紙で『今までありがとう』と伝えたい。
そう思っていた。




相手が自分から離れるのは、いつだって耐えられないのに、それが私自身の選択したことなら耐えられるなんて、おかしな話だと思う。

別れは、どんなものも耐えられる気がしなくて、それなのに時間に流されて、耐えてしまったことに気づくのだ。




お気に入りのカフェを見つけるのは意外と難しい。
あまりにも居心地が良くて、うっかりしていた。
踏み込まないでいたラインを超えてしまったことに後悔はしていないけど、これから悔やむかもしれない。

「いつもありがとうございます」

お会計の時に「いつも」が付くようになって、まだそれほど経っていない。
だから、きっと店主は私のことなどすぐに忘れてしまうだろう。

「実は、転勤になりまして……」
しばらくこの店には来られなくなるのだと伝える。

何も告げずこの町を出ていくこともできたはずだ。
だが、この店主にだけは……

「そうですか……寂しいです」
「この町に来た時はこの店にも寄りますので」
「ありがとうございます。新天地でもお体に気をつけてくださいね」
「店長もお体に気をつけて。ケーキどれも美味しかったです。ありがとうございました。ではまた」


また会えることを前提にした挨拶を交わす。
心のどこかでは、もう二度と会えないかもしれないと思っているのに。

それはきっと、さよならを言ってしまったら、本当に今生の別れになってしまうからなのかもしれない。



────さよならを言う前に

8/20/2024, 2:58:12 PM