「戸を叩かせてください」という張り紙が、自宅の玄関にへばりついていた。
90になる父の介護が終わった日のひと月後のことだった。
父が遺したこの戸建ては、今は夫と娘との三人暮らしで、少々ガタが生じてはいるが、慎ましく暮らすには不自由ない一軒家だった。
筆文字で書かれたこの張り紙を、誰かのいたずらかと疑ったが、それにしては敵意を感じない書体であった。
その日は張り紙を剥がして処分したが、翌日パート仕事から戻ると、ふたたび同じ張り紙がなされていた。
夫に相談しても、警察沙汰にはしたくないとどこか他人事で、近所付き合いも少ない中で犯人を絞り込むのも難しい状況であった。
そこで、張り紙を剥がし、玄関の真上にカメラを仕掛けておいて犯人の顔を拝むこととした。
翌日の午後に帰宅すると、またも同じ張り紙がつけられていたため、しめたと思いすぐにカメラの映像を確認した。
すると、不思議なことにそこには誰の姿も映ってはいなかったのである。
何度見返しても人影は見当たらず、ただいつの間にか張り紙がそこに「在る」状態になったとしか言いようがなかった。
思い切って、返事をしてみることにした。
父の書斎から筆と墨を拝借し、半紙に大きく「どうぞ」と書いて玄関に張り付けた。
我ながら思い切ったことをしていると思い、その日は興奮であまり寝付けなかった。
しかしその日の夜は戸を叩く音も聞こえず、朝を迎えた。
パート仕事も休みなので、朝から戸口へと意識を集中させていたが、戸を叩かれる気配はない。
正午に差し掛かった頃、しびれを切らしたわたしは玄関へ向けて呼びかけた。
「どうぞ」
すると、窓の外が一瞬で真っ赤に染まり、時間が止まったかのように空気は張り詰め、玄関から視線が外せなくなった。
突然のことに体はこわばり、やがてふつふつと気持ちの悪い汗が噴き出した。
何かがいる。
玄関の向こう側、カメラも捉えられない何かが、そこにいて、戸を叩こうとしている。
やっとの思いで生唾を飲み込むと、その音を聞きつけたかのように、戸が勢いよく叩かれた。
カッ カッ カッ カッ
カッ カッ カッ カッ
太鼓の達人の叩き方だった。
カカカカカカカカッ
太鼓の達人で「おに」を出す時の叩き方だった。
人の玄関の難易度を引き上げるなよ。
3/2/2025, 12:30:33 PM