かたいなか

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「『何の』最悪な話を書くか。なんなら、言葉付け足せば最悪『を回避する』話なんかもアリよな」
最近比較的書きやすいお題が続いてて助かる。某所在住物書きは小さく安堵のため息を吐いた。
短い単語のテーマは、言葉を足したり挟み込んだり、己のアレンジを加えやすい。物書きはそれを好んだ。
とはいえ「比較的」書きやすいだけである。

「……個人的に昔のアニメで育ったから、『最も悪』とか理由無しに悪なやつをバッキバキに成敗する話とか、ちょっと書いてみたいとは思うわな」
実際にその話を組めるかと言えば、多分無理だが。

――――――

最近最近の都内某所、某職場本店の一室、朝。
一気に心拍数を上げた庶務係が、部屋の主のお気に入りたる球体のストームグラスを、
床スレスレでキャッチし、口で粗く息を整えて、
それが手の中で割れていないのをよく確認して、
安堵の声混じるほどの大きなため息を、ひとつ。
『最悪の事態は回避できた』と。

「おう、藤森。今日も早いな」
扉を開けて入ってきたのは、「部屋の主」、緒天戸そのひと。部屋にうつ伏せで寝っ転がっている庶務係を珍しそうに、興味津々の目で見ている。
「なんだ寝そべって。床にホコリが残ってないかのチェックか何かか?」

「……おはようございます」
あなたが「絶妙」な位置に置いてくれたガラスの玉の救出作業ですよ。 とは言わない。
イタズラ大好き大親友、宇曽野の実家、彼の祖父である。妙なスイッチを押してしまいかねない。
「総務課の課長が来て、机の上に書類を置いていきました。ついさっきです」
床スレスレでキャッチしたストームグラスを、デスクに戻し、少しだけ安全地帯側に押し遣って、
己の上司であるところの緒天戸を見ると彼の目がキラリ輝いていた――状況を察したらしい。

「総務が書類上げてったときに玉に当たった?」
「はい」
「それをお前が床ダイブしてキャッチ?」
「はい」

「撮りてぇからもう1回飛び込むのはどうだ」
「すいません。勘弁してください」

直接謝罪したいと言っていたので、呼んできます。
部屋から出ていこうとする藤森を、チョイチョイ、緒天戸が手招きで引き止める。
「茶ァ淹れてくれ。俺とお前と総務の分」
ひいきの和菓子屋で、そこの坊主が初めて店に生菓子出したんだ。一緒に食え。
緒天戸が書類の隣に上げた紙箱から出てきたのは、黄色と黄緑のツバキの葉っぱを「若葉マーク」よろしく重ねたデザインの練り切り。
「今流行の、研修生価格だとさ」
左様ですか。 藤森は特に言葉を返さず淡々と、茶托と湯呑みと湯冷ましを引っ張り出し、茶葉を茶筒からすくって、急須に落とした。

「今日の茶っ葉は何だ」
「鹿児島のゆたかみどり、新茶をご用意しています」
「産地と品種を言われても分からねぇよ。何に合う茶っ葉だ。味は?」
「どちらを聞きたいですか?お菓子とお食事?」
「『お食事』?メシ?」

「新茶特有の豊富な旨味が塩味に少し似ているので、お茶漬けに使えますよ」
「よし藤森おまえコンビニでパック飯と鮭茶漬けの素買ってこい。あと漬物。たくあん。梅干し」

「昼食用ですか」
「今食う」
「朝食召し上がって、」
「食った」

老いても元気な方って、多分きっとこういうふうに、食欲旺盛なんだろうな。
ひとまず2杯分、緒天戸と総務課の課長用の茶の準備を終えた藤森は、お駄賃もとい買い出しのための現金を緒天戸から受け取り、財布にしまう。
「お前も食いたきゃ、一緒に買ってきて良いぞ」
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「遠慮すんなよ」
「本当に、大丈夫です」

なんだ。最近の若いのは、随分少食だな。
パチクリまばたきする緒天戸。それならお前自身のためにコーヒーでも何でも買ってこいと、
自分の財布から、追加の小銭を取り、藤森に渡そうと腕を伸ばした丁度そのとき、
「あ、」
「ア、ッく!!」
コロン。 伸ばした手が球体のストームグラスを押しのけてしまって、デスクの上を一直線に転がり、
再度、藤森によって床スレスレでキャッチされた。
「わりぃ。わざとじゃねぇんだ」
「そう、です、か……!」
間一髪。藤森はその日、二度目の「最悪の事態」を、文字通り体を張って阻止したのであった。

6/7/2024, 4:23:40 AM