子どものままで
自分のなかの「子ども」を表に出すのは楽しい。大人を自称している人や、成長段階の「脱皮・新構築」時期の人などからは冷ややかなナナメ目線が返ってくるので、「大人」と書いたお面をかぶる。家に居るときは子ども達が居るから、かまってもらえて楽しい。
思えば、人員の多い職場に勤めたときはいつも、隙あらば同僚達ともきゃもきゃ遊び、仕事に取り組むときだけ「大人」と書いたお面をかぶっていた……と書くと、“ダメな大人”と認定されそうだが、実感として、その方が仕事への集中力をスムーズに発揮できる。メリハリのせいか、いきなり仕事スイッチへ切り替えることができた。「子ども」よろしく遊ぶと、「大人」ならどう振る舞うかという「対比」を取りやすい。
生きやすくいるために「大人」と書いたお面を持つのはスキルだが、それも子どもゴコロというベースがあって初めて成立する。きっちりと子どもをやらないで時間を過ごしても、しっかりと大人になるわけが無い。しばしば、世では「子どもなんて」などと、ワケの解らん否定性のモヤのようなものが闊歩していたりするが、その風体と言ったら「子どももやれず、然るべくして、大人にもなれない、つまらぬ都合につながれて、くさくさするから通りがかりの誰かに噛みついてはゴネるもの」…
子どもゴコロは明るく健やかで力強く、周りの人達にも華やかで安定的な活力を発揮させる。
子どもゴコロは生涯消えない。
成長とともに消えるべきものではない。寧ろ「大人であるに必要な力と覚悟」のタネなのだ。…なんか以前にもこんなことを書いたような…まあいい。
本当に自分自身の意図と自発性・自律性で進んでいる皆さん、あなたの子どもゴコロは今このときも、元気でしょ?
5/13/2024, 5:41:52 AM