ヒロ

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「名前で、呼ばないの?」

昼休みの時間。
教室まで料理部の連絡事項を伝えに来た部長を見送っていると、すぐ近くから声をかけられた。
後ろへ捻っていた体を正面に向き直り、声のした方を見やれば、彼の有名なクラス委員、通称王子が、弁当袋片手に空いている前の席へ腰かけようとしているところだった。
学年トップの優等生男子となど、クラスが同じだけで今まで何の接点も無かったのに。先日の調理実習にて、一緒の班で調理を手伝って以来、何故だかちょくちょく声をかけられる。
一体どういう風の吹き回しなのか。
いつもつるんでいる連中はどうしたんだ。
さも当然のように向い合わせで陣取って、俺と弁当を食べようとしないで欲しい。
急な変化が謎過ぎて意味不明だったが、かと言って追い払う理由も思い浮かばず。
仕方がなく、そのまま俺も自分の弁当を机へ広げて話に乗った。
「別に、部長は部長だし。どう呼んだって良いだろ」
「ふーん。付き合ってるんだから、呼んであげれば良いのに」

――思わぬ返しに、口に含んだ白飯を飲み込み損ねた。

「大丈夫?」
げほげほと盛大にむせ返す俺とは対照的に、聞き流せない発言をかました本人は、けろりと澄ました顔で首を傾げている。
がやがやと騒がしい休み時間。幸いなことに、俺たちの会話に注目する野暮なクラスメイトは居なかった。
喉のつかえが治まるのを待ってから、向かいの王子にずいっと顔を寄せた。念のため、声量を絞って問い質す。

「誰と、誰が。付き合ってるって?」
「君と、さっきの子」
「それ。誰が言ってんの」
「さあ? 出所は知らないけれど、噂で聞いたよ。違うの?」
「ちっげーよ! だいたい、おまえが一番知ってるだろ。俺が部長の好みじゃないことは!」
自分で言うのも悲しいが事実である。
去る二月のバレンタイン。部長はこの王子に告白して振られている。あれだけ泣かせておいて、忘れたとは言わせない。
部長の敵は俺の敵。
あ、いや違う。部長は逆恨みのように敵とは思っていないだろうけれど、俺にとっては憎き恋敵。
俺が責めるのはお門違いの話だが、あの時の部長の落ち込み様を思い出すと、小声ながらについつい語気も粗くなった。
ジト目で王子に訴えかければ、俺の言わんとすることが通じたのか、王子は「え? ――あ~。まあ、うん」と言葉を濁して目を泳がせた。
やっぱり覚えてるんじゃねえか。
ため息を吐いて、味わい損ねた弁当を改めて口へ放り込んだ。

「まったく。どこの誰だか知らねえけれど、いい加減な噂流しやがって。どこに目付けてんだよ。部長が俺に気がないことくらい、見てりゃ分かるだろ?」
「そうかなあ。君たち最近仲良いじゃん。彼女、クラスも違うのによく話しに来るし。一緒に居るのも見かけるし」
「部活が一緒なんだから当たり前だろう? そんなので嘘流されたら堪らねえよ。部長にも迷惑かかるし」
「ん~。そこは同感だけど。でもまあ、料理部に入部した男子ってことで君も一時期有名だったから。格好の噂のネタだったんだろうね。苦労するよね、お互い」
似たような経験が自身にもあるのだろう。そう王子に慰められはしたが、憐れまれたところで嬉しくはない。
ただでさえ告白する根性もなく友人関係のまま留まっているのだ。端から見れば阿呆みたいかもしれないが、俺なりの事情にペースもある。
外野が面白がって、余計な茶々や波風を立てるのは止して欲しい。

――とは云えどもこの噂。ひょっとして、部長の耳にも聞こえている話なのだろうか。
預かり知らぬところで起きていた事態とは云え、知った上で毎日普通に会話をしてくれていたのだとしたら申し訳ない。
踏ん切り付かないまま部活仲間を続けている自分が恥ずかしくなる。情けない。
げんなりと沈んだ心に釣られ、楽しみにしていた弁当も、何だか味がしなくなってきた。
せっかく詰めてきたミニハンバーグなのに。勿体ないことをした。

「で?」
「うん?」
先を促せば、王子はきょとんとした顔で首を傾げた。
俺の机の一角を借りる形で弁当を広げ、引いた椅子に横座りのまま箸を進める。おにぎりを頬張る姿も涼やかで。
悔しいけれど、部長が憧れる気持ちも分かってしまい複雑だ。
雑念を振り払うようにため息を吐く。
その勢いに乗せて、ずっともやついていた疑問もぶつけてみた。
「まさか、噂の真偽を確かめるために寄ってきたんじゃないだろう? この間までろくに話もしたこと無かったのに、一体どういう風の吹き回し?」
先生たちも一目置く様な優等生が、冷やかしのためだけに俺にちょっかいを出すとは思えない。
知らぬ顔で弁当を食べ続けても良かったが、残念ながら、気がかりを残したまま愛想良く振る舞えるほど器用な性分ではない。
いい加減、その辺りの白黒をはっきりさせておきたいのだ。
食べる手を休めて正面に座る王子を見返せば、向こうも箸を休めてごくんと卵焼きを飲み込んだ。

「――君ってさ」
優雅にお茶も一口飲み干してから、王子がおもむろに口を開いた。
「実習のときも思ったけど。普段は大人しいのに、言うときは遠慮無く言ってくれるよねえ」
それに続き目線を外して、「まあ。恋愛方面には上手く発揮されていないみたいだけど」などと小さく呟くものだから、思わずぴくりと頬が引きつった。
俺の中で、王子の株が急落する。
前言撤回。こいつ、やっぱり喧嘩売りに来たみたいだぞ。
「あのなあ」
「ああごめん。悪く言いたい訳じゃないんだよ」
お褒めに預かった言葉の通り、早速反論してやろうと思ったのに。不穏な空気を察知してか、すかさず王子に止められた。
「寧ろそこが気に入ってさ。一つ頼みがあるんだ」
「頼み?」
ますます怪しんで、聞き返した語尾が尻上がりになる。
この期に及んで一体何を言うつもりだ。
眉を潜めて警戒する俺に構わずに、にこりと笑って王子は用件を言った。

「僕に、料理を教えて欲しいんだ」

「――はあ?」
思いがけない申し出に、頭の整理が追い付かない。おかげで先程の返し以上に感じの悪い応えとなってしまった。
だって、おかしいだろう。
俺が、王子に、教える?
さっきの部長と付き合ってる説といい、何がどうしてそうなるんだ?
「――何で?」
しばらく考えを巡らせたが、聞きたいことが多すぎてまとまらない。
やっと絞り出した一言も、とてもシンプルに終わってしまった。
対する王子は何食わぬ顔。変わらず落ち着いた余裕の表情で、弁当の続きを食べ始めている。
二の句が継げないまま話の続きを待っていれば、上品にごくんとおかずを飲み込んだ後に告げられた。
「単純な話さ。君も実習で見ただろう? 僕の悲惨な腕前を。あのままじゃあ、自炊生活に不安が残って進学後の独り暮らしも心配だ。だから、身近なところに良い先生が居るうちに教わっておこうと思ってね」
どうかな、と言って王子は微笑む。
爽やかな笑顔が眩しいが、その程度の輝きでこちらのもやもやは晴れはしない。
うーんと悩んで問いを重ねた。
「場所は? どこで?」
「引き受けてくれるの?」
「それはまだ。条件の確認。部活のときか、それとも休日に俺の家かどっちかしかないだろう。どっちが良い訳?」
「どちらでも。必要なら入部もするし、迷惑でなければ君の家でもオッケーさ。お互い受験生だし、頻度も君に任せるよ」
そう言って返事を待つ王子は実に楽しそうで、眉間にシワを寄せて思案する俺を機嫌よろしく眺めている。
そちらの事情は分かった。けれども面倒な話だ。

まず第一に、断ったときの噂が怖い。
こいつがべらべら喋ることはなくたって、周りのクラスメイトが何と言うかが分からない。
俺と部長で有りもしない恋ばなが出回るんだ。
最近王子が俺にちょっかいをかけて来ていたのは既に周知の事実なのだから、断ってまた疎遠になってみろ。きっと根拠のない噂が広がるに決まっている。
これ以上噂の的になるのは御免である。
癪だけれど、ここは頼みを引き受けた方が良さそうだ。
――何だ。初めから、拒否権なんか無かったんじゃないか。
王子に踊らされたことに気が付いて天を仰げば、チャイムまでもが裏切って、俺の決断を急かすように予鈴の鐘を響かせた。
「もう少し、考えても良いか?」
本当はイエスの答えしかなかったが、せめてもの抵抗で答えを先延ばしにした。
くそ。これだから俺は意気地がない。
そんな俺の葛藤も計算済みなのか。王子はころころと笑っていいよと頷いた。
「急な話だしね。また放課後にでも話そうよ」
じゃあねとひらり手を振って、自分の席へと帰っていく。いつの間にか弁当はすべて食べ終わっていたらしい。
俺はまだ半分近く残っているというのに、何から何まで忌々しい。けれども。
「部長は、喜ぶんだろうなあ」
トマトを口に放り込んでため息をつく。
部活で教えるとなれば、当然部長に黙っておける話でもない。
かと云って、こっそり自分の家で教えるのも忍びない。部長の耳に入ったときに後ろめたいからだ。
それに家で教えたら教えたで厄介だ。お節介な親父が喧しいに決まっている。
どちらに転んでも気が重い。
「とりあえず、部長に報告か」
気は進まないけれど仕方がない。
スマホを取り出し、メッセージ画面を開いて部長とのトーク画面を探した。
簡潔に要点をまとめ、事の次第を書いて送信する。
一息つけば、丁度そのタイミングで本鈴も鳴った。
「あ。弁当」
中途半端に残ったおかずを見てため息が出る。この短い時間だけで何回目だ。
残念だけれども、次の休み時間で食べきるしかないな。
離れた席で、行儀良く座る王子の背中が目に入る。恨みがましく念を送るも、今はちらりとも振り返らない。
慌ただしく机を片付け、授業に備えた。

そうして、その日の放課後。
ホームルームが終わってすぐのこと。
同じクラスの王子よりも素早い行動力で、隣のクラスから部長が俺の元へとすっ飛んで来た。
マジかよ部長。早すぎるよ。
予想以上に喜ぶ彼女の無邪気さに、寄ってきた王子も戸惑って。
俺の恋路は多難だな、と。
その隣で苦く、笑うしかなかった。


(2024/08/25 title:052 向い合わせ)

8/26/2024, 9:59:32 AM