sairo

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人の絶えた校舎の中を、一人の青年と一羽の青い鳥が歩いて行く。

「ここか?」

軽く翼を広げて鳥が示す棚の中に、青年は手を差し入れる。奥を探り、しばらくして青年は手を引いた。
その手の中には、錆び付いた小さなキーホルダー。埃を拭えば、龍が巻き付いた剣が鈍く光を反射した気がした。

「――また見つけたな」

小さく呟いて、青年は教室の窓に歩み寄る。差し込む月明かりにキーホルダーを晒すと、それは丸い光となって教室の中を漂いだした。

――見ろよ!この前旅行に行った時に、母ちゃんが買ってくれたんだぜ。
――すげぇ。格好いいじゃん!
――いいなぁ。俺も欲しかったけど、買ってくんなかったんだよなぁ。

楽しげな声が教室内に響き渡る。
在りし日の一場面。光が淡く照らす場所に、楽しげに話す子供たちの影が浮かび、消えていく。
漂う光もやがて消え、後には静寂だけが残った。

ふっと、青年は笑みを溢した。しかしその目はどこか寂しそうに、悲しそうに揺らいでいる。
そんな青年を見上げ、鳥は小さく鳴き声を上げた。

「あぁ、大丈夫だ……全部、見つけてやらないとな」

身を屈め、青年は鳥の頭をそっと撫でる。目を細める鳥に微笑んでから、教室内を一瞥した。
廃校になり、誰も訪れなくなった校舎。かつてここで、青年は教師として働いていた。
青年がいつからこの校舎で失せもの探しをし始めたのか、青年自身も覚えてはいない。気づけばここにいて、青年に懐く飛ばない鳥と共に失せもの探しを始めていた。

「そろそろ次に行くか」

呟いて、静かに立ち上がる。
鳥は小さく鳴いて、先導するように青年の前を歩き出した。

「まだ飛べないのか?……それとも飛ばないのか」

青年の言葉に鳥は振り返らない。教室を出る姿に苦笑して、青年もその後に続いて教室を出た。



使いかけの消しゴムを、月明かりに晒す。
ふわりと丸い光が教室を漂い、密かな声が聞こえてきた。

――皆には、内緒にしてよね。
――分かってるよ。おまじないの相手は、誰にも言わないから。

くすくすと笑い声がする。

――それにしても、先生かぁ。予想はしてたけどね。
――な、なんで。知って!?
――だって、分かりやすかったし?たぶん皆知ってるよ。

声にならない悲鳴。仄かに光が浮かばせる影が、顔を覆って机に伏した。

――頑張って。両思いになれるといいね。
――うぅ……がんばる。

慰めるように机に伏した影の頭を撫でる、もう一人の影。
密やかな日常が、光と共に消えていく。

「おまじない、か」

何もない手に視線を落とし、青年は小さく笑みを浮かべた。

「何かこそこそやっているとは思ってたが……本当に女子はそういうのが好きだな」

笑う青年に、咎めるように鳥が鳴く。嘴で足を突けば、痛がりながらも青年は楽しそうに鳥を見た。

「悪かった。じゃあ、次に行こうか」

いつものように、鳥に告げる。だが鳥は動かない。
澄んだ瞳が青年を見上げる。ややあって、すべてを理解した青年は静かに微笑んだ。

「そうか……これで、全部なのか」

鳥は鳴く。
それに頷いて、青年はそっと鳥を抱き上げた。

「屋上に行こうか。そこが一番空に近い」

鳥を撫で、青年は歩き出す。
その表情は、微笑みながらも泣いているように見えた。



柔らかな風が吹き抜ける。

「良い風だ。旅立ちに相応しい」

穏やかに呟いて、青年は鳥を抱いたままフェンスの側まで歩いていく。
屋上から見下ろす景色は、青年の知るものとまったく様子が異なっていた。
遠くで瞬くいくつもの灯り。夜だというのに昼と変わらぬ明るさに、青年は目を細める。

「全部探すのに、随分時間がかかっちまったな」

苦笑しながら、鳥を抱く腕を空へと伸ばす。青年を見つめる鳥に向けて、一言告げた。

「飛べ」

ぱちり、と鳥の目が瞬いた。

「後はお前だけだ。今まで、長く付き合わせて悪かったな。もう自由になっていいぞ」

鳥は鳴かない。翼を広げることも、青年に擦り寄ることもなく、ただ青年を見つめていた。
まるで、自分が飛び去った後の、青年のその後を尋ねるように。

「大丈夫だ。お前たちを全員送り出したら、先生もいくから」

だから、と続ける青年の言葉を、強く吹いた風が掻き消した。

――うそつき。

誰かの声がした。

――先生は、いつもうそつきだ。

囁く声と共に、いくつもの丸い光が辺りに浮かぶ。

「これは……?」

目を見張る青年と静かに見つめる鳥を囲うように、光が揺らぎ形を変えていく。
小さな子供たちの姿。青年のかつての教え子たちが、笑いながら囁いた。

――ここから動かないくせに。
――一人で残ろうとしてるの、ばればれだよ。
――先生、寂しがり屋なのに、素直じゃないんだから。
――一緒に行けばいいじゃん。

囁く声に合わせて、鳥が鳴く。

「先生。先生も一緒に卒業しようよ」

鳴き声が言葉になる。
青年の頬を一筋の涙が流れ落ちた。

「――いいのか?」

微かな呟きに、鳥は翼を広げ応える。青年の腕から肩へと移り、その頬に擦り寄った。

「先生が皆の忘れものに祈ってくれたから、皆帰ってこれた。だから、皆で還ろうよ」

鳥の言葉に目を伏せる。しかしその口元は緩く笑みを浮かべて。

「そうだな。先生も皆と一緒に行こうか」

きゃあ、とあちこちで歓声があがる。
子供たちに抱きつかれた青年の体が、少しずつ揺らぎ始めていく。
鳥が鳴く。翼を広げ飛び立ち、青年の周りをぐるりと旋回した。
その声に応えるように、青年が鳴き声を上げた。
低い鳥の声。揺らぐ姿もまた、鳥の姿となり。

「行こうか。途中で逸れないでくれよ?失せもの探しは先生、苦手なんだ」

戯ける黒の鳥が、いくつもの蛍のような光に囲まれ、傍の青の鳥と共に夜空を飛び去っていった。



その学校が何故廃校になったのか、今となって正しく知る者はいない。

とある教師が、自分のクラスの生徒を道連れに死んだ。
その当時流行ったおなじないが、生徒と教師を巻き込んで異界へと連れ去った。
裏山に封じられた祟り神に、生徒と教師が喰われてしまった。

様々な噂が流れた。それのどれが本当で、あるいはすべてが偽りなのかも、最早知りようがない。
やがて、時代に取り残された校舎は取り壊された。そこに学校があったことも、消えた生徒と教師がいたことも、すべて忘れ去られてしまった。
それでも――。


「ちょっと男子!もう少し離れなさいよ」
「なんでだよ。あいつだけ先生の側にいて狡くねぇ?」
「いいの!ちょっとだけでも恋人っぽいことさせないと……デートよ、デート」
「デートぉ!?先生とあいつ、付き合ってんの?マジで?」
「じゃあ、結婚式やろうぜ!誓いのちゅーしよう!ちゅー」
「さいてー。本当に男子ってデリカシーにかけるんだから」

番のように寄り添う二羽の鳥が、消えた生徒のために長い間彷徨っていたのを。
夜に吹き抜ける風だけは、忘れることなく覚えている。



20250719 『飛べ』

7/21/2025, 3:09:34 AM