水上

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開け放たれた窓から、さらさらと風が入る。朝の空気が少しずつ部屋に満ちていくのを感じながら、窓辺に立った。胸いっぱいに吸い込んで、ゆっくりと吐き出し、それを繰り返す。呼吸を確かめるように。

「おはよう」
声がして振り返ると、見慣れた人影がひとつ。
「いい朝だね」
目が合うと、彼はにっこりと微笑む。
「ご機嫌いかが?お姫様」
聞き飽きたいつもの挨拶。返事の代わりにため息をひとつ。お姫様、なんて呼び方は変だからやめてと何回伝えてもきかない。この男は本当に、人の話を聞かない。

「今日は素敵なお知らせがあるんだ」
まるで吉報を告げるような、軽やかな声。驚きと不安が押し寄せ、思わず睨みつけた。
「そんな顔しないでよ。やっと見つけたんだ」
苦労したよ、と言いながら男は、部屋の片隅にある空の鳥かごを撫で、どこか遠くを見つめる。
「君がまたステージに立てるんだよ、僕の歌姫」
テーブルの上のペンを掴み開かれたまま置かれていたノートに殴り書いた。
“そんなものいらない”
“私は歌わない”
「君がなんて書くかなんて分かってる」
言いながら男は、美しい装飾の施された鳥かごだけを見つめている。
「でもいらないなんて嘘。だってあれは君のものなんだから」
その瞳に私は映らない。いつだって。
「歌姫の声でさえずるカナリヤもとても素敵だけど、やっぱり君が歌うのが、僕は一番好きなんだ」
唐突にグッと距離を詰められ、頬を撫でられる。彼の瞳の中の自分と目が合う。彼が本当に見つめているのは、一体誰なんだろう。
「明日にはここに運ばれて来るはずだから。楽しみにしていて」
言いたいことだけ言って、いつも通り満足そうに帰っていく。

私は愕然とした。
ついに見つけられてしまった。私の声を宿したカナリヤ。あの子がどこか遠くへ飛び立つか、もしくは死んでしまうか。そうすれば私の声は永遠に失われる。そのはずだった。


最初は風邪だと言い張っていたが、いつまで経っても声が発せない私を訝しんで、金に物を言わせて調べ上げ、真実を知ったあの男は、まず最初に協力者だった魔道士に、謂れなき罪を着せて処刑した。歌姫の声を奪った罪人として。

私が協力を頼んだのだと何度説明して信じてはくれなかった。大丈夫、僕は分かっているよと言いながら、私の言葉になど全く興味も関心も持っていなかった。

気付けば私は奴の屋敷に囲われ、自由を奪われた。

世間では悲劇の歌姫のために私財をなげうって奔走する聖者だとされているが、そんな事実はどこにもない。

何が彼をそうさせるのかはわからない。けれど彼は歌姫という存在に強く固執している。最初はあたたかい言葉や贈り物をくれて、優しく紳士的振る舞う彼を見て、私を心から愛しているのだと思った。だけどそばにいればいるほど違和感を感じた。

彼は私を見つめていても、私自身を見てはいない。

怖くなって逃げようとしたけど彼の執着からは逃れられなくて、彼が歌姫に固執するなら歌えなくなれば良いのだと、魔道士の協力者を得て声を捨てた。

それなのに、カナリヤが帰ってくるなんて。もう、私にはどうしていいのかわからない。

部屋の真ん中に置かれた鳥かご。空っぽの鳥かご。触れるとひんやりしていた。それは、窓の外側に掛けられた鉄格子の温度と似ていた。

あのカナリヤも、私も。もう自分の意思ではどこに行くことも叶わない。

〉鳥かご

7/25/2022, 1:46:01 PM