彼からは何時も、
優しい紅茶の香りがする。
そしてどこか、
その香りは、
私の気持ちを落ち着かせ、
安心させてくれるのだ。
午前11:59分
あと1分で午後となるお昼時。
私は彼のいるであろう書斎へ遊びに来ていた。
遊びに来ていた、と言えば幼稚に聞こえるが、
彼に会いに来たと言えば、
一途な恋人に聞こえるだろうか。
私の予想通り、彼は書斎のデスクに座り、
難しそうな書類と睨めっこをしていた。
「少しは休んだら?」
私がそう言うと、
「いいや、君との時間を取るためだから。」
休むわけにはいかないんだ。
と、小っ恥ずかしい言葉を、
簡単に言ってのけた。
私がそんな言葉に赤面していると、
ことりと受け皿から
ティーカップを持ち上げる音。
少し動きがあったからか、
そのティーカップから
部屋へ紅茶の香りが広がる。
すうっと鼻先を通り、
体に染み込むその香りは、
彼が淹れた紅茶でなければ、
香ることは出来ないだろう。
会話がなくとも、
落ち着いて、リラックスのできる空間。
特に気まづい訳でもなくて、
唯幸せを享受することの時間こそ、
私の至福の時間だろう。
しかし、暇というものは時に苦痛で、
私は本棚に並ぶ本を眺め、
気になった一冊を手に取った。
彼の方を見てみれば、
変わらず書類と
睨めっこをしている最中であった。
手に取った本は不思議なことに、
題名はあれど、
著者や出版社が書かれていない。
古びているその本は、
もしかしたら昔のものなのかもしれない。
であれば著者や出版社は、
長い年月の中で風化し、
消えていても不思議では無い。
私はその本の第1ページ目を開いた。
そのページには、
私が大好きな紅茶の匂いが染み付いている。
退屈から本を手に取った私だが、
文字を読むことが得意な方では無い。
あえて言うなら、苦手なほうだろう。
そんな私だから、
その本の1ページ読むのに、
普通の人が読み終えるであろう
倍の時間を要した。
最後の一言まで読み終えて、
感の悪い私はこの本の著者に漸く気づいた。
「あれ、その本読んでたの?」
ふと頭上から聞える声、
彼だ。
どうやら書類との睨めっこは終えたようで、
私の事を本の内容と共に覗き込んでいた。
「もしかして、紅茶飲みたいの?」
そう、このページには
紅茶のレシピが載っていた。
どうして気づかなかったのか、
この本の文字は、彼の筆跡とそっくりだ。
ペラペラと捲れば、
次のページには紅茶の写真とケーキの写真。
次のページには恐らく
前ページのケーキのレシピ。
なるほど、
これは彼が書いたレシピ本だったのか。
にしてもなぜこんなところに置いているのだ
疑問を浮かべながらも、
彼からの嬉しい質問に、
「お願いしてもいい?」
と上目遣いをしてみる。
「もちろん、折角なら一緒に作るかい?」
更に嬉しい提案が帰ってきたことに、
心の中で大喜びしながらも、
言葉で返事する代わりに、
彼へ抱きつき、行動で返事をしてみる事にした。
すると彼はそれに答えるように、
私の頭を撫でてくれた。
すると、タイミングがいいのか悪いのか、
私の腹からぐぅと飯時だと知らせる音が鳴った。
「あっはは! そうだね、もうお昼だし、
先にご飯にしようか 」
彼が優しく笑っている。
私は笑われたことが恥ずかしくて、
彼の胸をポコポコと叩く。
まるで効いていないと言うように、
彼は私を抱き上げ、
そのままリビンへと連れ去った。
お題:紅茶の香り 2024.10.28
10/28/2024, 2:21:59 AM