『愛と平和』
「愛と平和」という言葉における愛は、隣人愛のことだと思っている。
汝隣人を愛せよ。
自分にして欲しいと思うことはみな、同じように人にもしなければなりません。
そう、隣人愛とはつまり、他者への無条件の気遣いであり、自分の周りの人々(家族・友人だけでなく電車で隣に座った人とか……)を否定しない、ということだ。
第二次世界大戦時、ナチスによる強制収容を受けたヴィクトール・フランクルは、強制収容所に入れられた人々の多くは、極限状態にあると逆に周りの人に親切になった、と書いている。
そうすることで、人々は今から死にゆく(であろう)自らの精神状態を安定させ、尊厳を持ったまま生き抜いた、と。
これほど有意義な人生の過ごし方は他にはあろうか。
この心を極限状態でない今の私たちも日々持ち、実践すれば、人生は愛に溢れた豊かなものになるだろう。
自らの生活に余裕がなくとも、他者にまでその余裕のなさを波及させるのは良いことではない。
むしろ、そういう時にこそ人々に親切にするべきだ。
それは偽善のためではなく、自らの尊厳のために。
隣人愛が沢山の人に広まれば、そして実践されれば、自ずと世界は平和になることだろう。
他者を気遣い、ただ認めることに争いは生まれないからだ。
汝、どんな時でも精神的な余裕を持て。
そして隣人を愛せよ。
これをキリスト教的な考えだと「否定」する時、貴方は隣人愛を実践出来ていないことに気づくだろう。
そして自ら人や物を愛さない限り、貴方もまた愛されないことを知るだろう。
受け身になるな、全ての解決方法は行動からである。
そして、隣人を愛するように汝自身を愛せよ。
3/11/2026, 1:51:29 AM