Yuno*

Open App

【いつまでも降り止まない、雨】


さっきまであんなに晴れてたのに


急な夕立と思い本屋の軒先へ駆け込んで、取り敢えずハンカチで濡れた頭と服を軽く払う。
通りを行き交っていた人々も、突然の雨に駆け足で私の前を通り過ぎて行き、瞬く間に人気は全く無くなっていた。
出掛ける時の空は快晴で、まさか雨が降るなんて思いもよらなかった。
買い出しに行った帰りに、滝の様な雨に降られてしまったのだ。
軒先から空を見上げ、溜め息を吐く。

それでも夕立ならこうして少し待っていれば雨足も弱まって、そんなに濡れずに帰れるだろうと、私は走って帰るのを諦めた。
だが予想に反して雨の勢いは衰えず、雨雲は益々濃くなるばかりだ。

「どうしよう、ちっとも止まないんだけど……」

ポツリと呟き、しばらく思案してから決心したように自分の住むアパートがある方角を見据えた。
普段ならこの辺りからアパートまで歩いて約5分。雨足と荷物の量を考えて走っても、同じ位の時間で着けるだろう。きっと見るも無残な位全身ずぶ濡れになるだろうが、幸い独り暮らしだ。すぐシャワーを浴びて冷えにさえ気を付ければ良いだけの事だし、もう今日は出掛ける予定も無い。
覚悟を決めて、私が軒先を飛び出そうとしたその時。

「あれ、どうした? こんな所に突っ立って」

その声に振り向くと、そこには古ぼけたビニール傘を差した恋人が立っていて、驚いた。いつもならこの時間はまだ仕事中のはずなのだ。
厳密に言うなら定時はとうに過ぎているのだが、最近繁忙期である彼はずっと残業続きだった。

「そっちこそどうして? 仕事は?」
「強制終了。倒れられても困るからって、今週から二人ずつ交替で早く上がる事になってね。それより君はこんな所で―――」

何してるの? と続けるつもりだったであろう彼の言葉は、困った様な笑みに変わった。

「雨宿りだよね。どう見ても」
「うん……晴れてたし雨降ると思わなかったから、傘持って来てなくて」

そんな私に、彼は「ホラ」と自分が差していた傘を少し傾けた。

「入んなよ、送ってくから」
「良いの?」
「そりゃ勿論。あ、報酬は晩ご飯ね。手料理で!」
「お安い御用。じゃあ、お願いしちゃおうかな」

私が即了承すると、彼は満面の笑みを浮かべた。

「ホント!? やった、言ってみるもんだなぁ。……さ、そうと決まれば行こう!」

上機嫌で子供の様に笑う彼を見て、雨に降られて何となく沈んでいた私の心はいつの間にか浮上している。止まない雨を、これ程喜んだ事はない。

「ホラ、早く入って」
「うん」

相合い傘って、生まれて初めてかも。
うっかりそう思ってしまった私は少し照れ臭い様な、くすぐったい様な気持ちで差し向けられた傘に入る。
こうして彼と一緒に歩き出した私は、並んで歩けるのが嬉しくてつい彼の横顔を見ていた。
雨の日も晴れの日も、こんな風にずっと2人でこの先歩いて行けたら……そう思いながら。

アパートに到着すると、私は彼を先にバスルームへ向かわせた。
流石に足元だけは濡れてしまったが、雨宿り中に彼が来てくれたお陰で私はほとんど濡れていない。ならば、彼がシャワーを使う間に『報酬』の準備をしてしまった方が良いと思ったのだ。

「あ、忘れてた」

その前に着替えとバスタオルを用意しなければと、洗面所に向かった。
付き合い始めて5ヶ月弱。いつの間にか部屋には彼の着替えや生活用品が増え、今では2~3日泊まっても全く支障が無い程になっている。
着替えとタオルを持って行きカゴに入れておくと、シャワーを浴びている彼に扉越しに声を掛けた。

「着替えとタオル、カゴの中に入ってるから」
「おー、判った」

そして私は脱ぎ捨てられたワイシャツを拾い上げる。

「このシャツと靴下洗濯するから、新しいの着てね」

そう告げると、先刻まで着ていたシャツと靴下を洗濯機に入れ、次にスーツを手に取った。洗う訳にはいかないので、乾くかどうかは微妙だが、取り敢えず干すしかない。

「あれ?」

上着の形を整えようとした時、片側がずぶ濡れな事に気付いた。いくら1つの傘を2人で使ったとは言え、この濡れ方は不自然だ。
しかしすぐに、その原因に思い当たった。
スーツが濡れている片側は、私が並んで歩いていた反対側だったのだ。
私はほとんど濡れていない―――それは彼が傘の大部分を私に差していたという事に他ならない。
部屋に着いた時にすぐに気付けなかった自分を悔い申し訳ないと思いつつも、私はこの然り気無い優しさが嬉しかった。
そして自分が彼に大事に思われているのだと、素直に信じた。服が濡れるのも構わず、彼の想いの証である上着を胸に抱いて再び声を掛ける。

「今日は送ってくれて有難う」
「ん? 急にどうしたの」
「まだお礼を言ってなかったな、と思っただけ」
「どういたしまして。はは、真面目か」
「……すぐご飯用意するね」

あんな雨の中、私を見付けてくれて有難う。傘に入れてくれて、雨から守ってくれて有難う。キミの恋人で居られて……私は幸せだよ。
恥ずかしくて、面と向かっては言えそうもないけど。

その代わり、今日は彼の好きなチキン南蛮にしようと決めて、キッチンに戻った。






5/25/2023, 12:18:57 PM