薄墨

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起きたら、布団から出るのを戸惑うくらい寒かった。
隣にはもちろん、誰もいない。

窓の外はまだ暗かった。
そういえば、今月に入ってから、太陽の出ている時間もだいぶ短くなった。
冬がすぐそこまで来ているらしい。

お湯を淹れて、インスタントスープを啜りながら、寒空を見た。
暗い空にゆっくり、ゆっくりと陽が昇り始める。
スープの温かさがお腹に落ちると、じわじわと脳が覚醒し始める。

ああ、今日が休みでよかった。冬服が出せる。
脳が目覚めて真っ先に頭に浮かんだのは、そんな考えだった。

スープを飲み終えて、立ち上がる。
箪笥を漁り、すっかり奥まで押しやられた冬服を、一着また一着と引き摺り出す。
箪笥の材木と防虫剤が混じった独特の匂いをくっつけた服が着々と引き摺り出されていく。

冬服を出すと、洗濯物が途端に片付かなくなる。
冬服で一番可愛くてあったかいセーターを着る時は、夏秋に使う薄手のシャツの上に着ているからだ。
冬は単純に、使う服が2倍になる。
セーターのチクチクは、乾燥肌でアトピーで掻きむしった痕があちこちに残る人肌には、刺激が強すぎるのだ。

しかし、この習慣は慣れるとなかなか楽しい。
何が楽しいって、セーターだけでなく、下地も選んで楽しむことができるから。
下地…つまり、セーターの下に着るシャツの色を変える。
すると、セーターから覗くシャツの色でちょっと雰囲気が変わるのだ。
重ねの楽しみ。下地選びは、センスと個性の見せ所で、一人でいる時の密かな楽しみの常套手段になっている。

…まあ、そうやってアレコレ出して選ぶおかげで、冬場は服が片付かないのだけど。

まあしょうがないよね、と一人ごちながら、足元に積み上がった服の山を眺める。
とりあえず、冬服を引き出すターンはひと段落したので、引っ張り出したセーターを並べてみることにして、

てっぺんに乗せられた…つまり一番奥にしまいこまれていたセーターを手に取って、思わず動きが止まってしまった。

薄いグレーのカミシアセーター。
洗濯を何度も着て着古したものか、縮んだ上に、裾や袖にほつれが見える。
…昨日、とうとう絶交してしまった、あの人がいつかのクリスマスにくれたはずのセーターだ。
お気に入りで着ていて、でも一昨年の冬汚してしまって、念入りに洗濯したら縮んでしまったあれだ。

その時、あの人は、しょうがないなあ、と苦笑いして、また、新しいの買おうよって笑って…。
そのまたはもう来なかった。

寝起きのぼんやりとした眠気の奥にしまい込んだはずの、昨日の嫌な記憶が引き摺り出された。
苦い、苦い記憶。
あの人の嫌いなところ、嫌なところ。
昨日の晩、散々した一人反省会の脳内議事録。
あの人と出会った時から昨日までの疲れ、呆れ、あれやこれや…

ダメだ、
頭を振って、気持ちを切り替える。
こんなんじゃダメ、これをこのまま残していたら、気持ちは沈むばかりだ。

今日やるべきことが決まった。
まずはこのセーターの形をなくす。原型が分からないくらいに作り替えてしまおう。もう思い出すことのないように。
捨てるにはせっかくのカミシアが勿体無いし。

それから、コンソメスープを作ろう。インスタントじゃないやつを。
関係が終わってしまった時には、うんと手間がかかって、うんと難しい料理を作るに限る。
料理中は、嫌な思い出や嫌な記憶を振り返って沈む暇なんてないし、
食欲がなくてご飯を食べられなくても、惨めに思うこともない。
コンソメスープならピッタリだ。

一番コンソメの香りを思うと、胸がスッとした。

さあ、今日は忙しいぞ。
髪をまとめて、立ち上がる。
まずはこのセーターを切り取ってしまおう。
それから、コンソメスープの材料を買い込もう。セーターの処遇は、その買い物の間に決めてやる。

ちょっと堅めのカーペットを、厚めの靴下で踏みしめながら、部屋を練り歩く。
陽はゆっくり登っている。
木枯らしが、窓に跳ね返されて弱々しく、逃げ帰っていった。

11/24/2024, 2:31:49 PM