誰か
2025/10/04 書きたいという気持ち。
2025/10/05 書きすぎた。短く畳みたいんだけどな。
「最近、誰かに見られている……気がするんだ」
向かいに座る弟は、何故かいつもの苛烈さに似合わず、静かに話を聞いていた。
いつからだろうか。随分前に半永久的に反抗期に入ってしまって、こうして一対一で話をするのは久々だった。機会は減ってしまったが、たまに話をすると過去に戻った気がしてしまう。どちらも彼で、そして弟であることに変わりはないが。
そういう時の弟は、静かに人の話を聴き、丁寧すぎるほどに律儀に返事をする。有り体に言えば、優しい。話す前にお茶を二つ持ってきたり、今相談に乗ってくれたりするように。
「二週間前、かな。その前からかもしれないんだが。目立つことは嫌いじゃないし、それであまり気にしていなかったのもあるんだが……」
言葉が尻すぼみになってしまう。あくまで“気がする”だけであって、見られたと確信したことはなかったからだ。それに、見られていると思うのは自分だけで、兄弟は特に気にしていないようだったから。挙動不審であったことは認めるが、心配はかけたくなかった。……弟に知られたことを考えると、既に心配されてたのかもしれない。
手にした湯呑みの中身をふぅと冷まし、ず……と啜ってから、弟はようやく口を開いた。
「……なるほどね。だからアンタ最近変だったんだ」
「え」
「それって視線を感じてるだけ? 耳……音とかはしない?」
「いや、気になる音とかは特に……何か知ってるのか?」
「ちょっとね……今も感じる?」
「…………あぁ」
そう、と弟は呟いた。机に置いた湯呑みに視線を落とし、湯呑みではない何処かを見ている。
しばらく、静けさが場を支配していた。不安になるほど音は聞こえず、しかし兄弟がいるだけで不安はなかった。それが無視ではないことを自分は知っている。
ふいに弟が立ち上がり、ちゃぶ台を超えて隣に座った。なんとなく、自分も向き合うように姿勢を変える。弟が腕を伸ばし、膝に置かれていた手を掴まれる。そのまま、手遊びでも始めるのか、指を絡めて弄ばれた。自分の手だけが、じっとりと湿っている感覚がする。
「目、瞑って」
「……え?」
「いいから、め、とじて」
小さい子に聞かせるような、柔らかい声で言い直される。言われるがままに目を閉じた暗い視界の中、これではこっちが弟のようだ、と思った。
ぼんやりと、弟の声が聞こえる。
「いい? ここにいるのは僕らだけ。お前と、僕だけ。僕の声しか聞こえないでしょ? 手を握っているのは僕。お前の弟。僕の兄。ここにいるのはそれだけ。……いいね?」
水の中から、弟の声がぼんやりと、しかしはっきりと聞こえる。全てが暗く、確かなものが少ない中で、声と手の感覚だけが確かだった。だんだんと、意識が消えていく。まるで、このまま、ねて、しまう、ような……。
「あ、起きた?」
ぽけ、と寝起きでままならない頭を動かした。弟が目に入った瞬間、意識が現実へと戻る。何か言葉を紡ごうとしたが、何を口に出せば良いのかわからなかった。
「お前、最近疲れてたんだよ。もう夕方だよ」
町内の放送が流れる。五時を示す音楽。
「あ、そうそう、視線なんだけど」
明日は晴れだよ、とでもいいそうな気軽さで、弟は不気味な視線について切り出した。
「あれ猫」
「……は?」
呆けている俺を他所に、種明かしが成される。あの視線は、俺のことが気になっている猫のものだったらしい。猫好きの弟だからわかったことなのかもしれない。
張り詰めていたなにかが、急にゆるむ。呼吸が楽になる。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。わかってしまえば怖くない。……あれ、でも、視線って、家の中でも感じたような……?
「兄さん。ここにいるのは?」
「……俺らだけ……」
「そうだよね」
弟が、なんだか満足気な顔で頷くもんだから。だから、なんだかもういいかと思った。
10/4/2025, 9:59:04 AM